ハミの虐殺 韓国は謝罪なし

ハミの虐殺 韓国は謝罪なし

ハミの虐殺(ハミのぎゃくさつ、Ha My massacre)とはベトナム戦争中の1968年2月25日に南ベトナムクアンナム省ハミ村で大韓民国海兵隊によって非武装の民間人135人が虐殺された事件。

ベトナム戦争 韓国軍 蛮行1968年2月12日、韓国海兵隊第2海兵旅団(青龍部隊)(en)は南ベトナムクアンナム省フォンニィ・フォンニャット村で民間人虐殺事件を起こし、その日のうちにアメリカ軍・南ベトナム軍によって犯行が明らかにされていたが、2月25日に再び、同じクアンナム省のハミ村で女・老人・子供・135人を虐殺した。3人だけを残して全員殺害された村もあった。殺害方法は村民を広場に集め、一斉に射撃を加えたり、手榴弾を投げつけたりして実行された。

このため、アメリカ軍内部では韓国軍を完全な後方部隊とするか、ベトコンが完全に支配していて誰を殺しても問題とされない地域に配置転換するべきであるとした検討が行われた。

韓国軍による虐殺が50年後も隠蔽されている ベトナム・ハミ村 吉村英輝

ベトナム中部クアンナム省ハミ村は、水田が広がるのどかな集落だ。路地を進むと、テニスコート2面分ほどの慰霊施設に着いた。石碑には、68年2月25日、ここで亡くなった村民135人の名前が刻まれている。南ベトナム政府に協力して参戦していた、韓国海兵隊の青龍部隊に殺害された住民たちだ。

この虐殺は、現地を99年に訪れた韓国人研究者により広く知られるようになり、慰霊施設は、韓国の民間団体と同村が翌2000年に建てた。だが、施設のどこにも、虐殺の記述はおろか名称もない。

案内してくれた生存者のド・コイさん(73)は石碑の裏面を指し、「実はここに虐殺について記してあるが、02年に石板で覆い隠した」と打ち明けた。

コイさんによれば、00年の完成式典に参加した退役韓国軍人が、碑文の修正・削除を求めた。村は反発したが、韓国側は外交ルートで圧力をかけてきたという。共産党一党支配が続くベトナムで、「地方や農民に抵抗する力はない。仕方なく石板で歴史を“隠蔽”することにした」と振り返る。

 韓国外務省に事実関係をただすと、「ベトナム政府には石碑に関して何の要請もしていない」と否定した。

コイさんによると、韓国軍がハミ村へ駐留を始めたのは1967年10月。ベトコンの通称で呼ばれた南ベトナム解放戦線を恐れた韓国軍は、約1千世帯いた村民に移動を命じたが、50世帯は残留を許された。韓国兵は当初、友好的で子供に菓子を配る兵士さえいた。

だが、翌年2月25日早朝、韓国兵は急に態度を変え、村の住民を防空壕など5カ所に押し込んで、銃撃や手投げ弾で殺した。悲鳴が15分ほど続いた。コイさんは当時23歳。南ベトナム政府の徴兵を逃れるため、昼間は家から30メートル離れた防空壕に隠れていたため助かった。夜を待ち自宅を見に行くと、家は焼かれ、家の地下壕にいた13人中、死亡していた母や伯母らを埋葬した。重傷の弟は病院に運んだが、その後死亡した。

当時村にいたのは165人で、ほとんどは老人に女性や子供。事件を生き残ったのはコイさんら15人だけ。仲が良かった韓国兵から別の防空壕に行くよう言われ助かった少年もいた。ベトコン掃討作戦の一環だったとの主張もあるが、コイさんは「村にベトコンなどいたわけがない。計画的な住民虐殺だった」と語る。

“無名”の慰霊施設では今年3月11日、式典が開催され、民間団体など韓国からも約40人が参加したが、退役韓国軍人らの姿はなかったという。施設内の集団墓地には線香が手向けられたが、そこに遺体は埋葬されていない。虐殺の翌日、韓国兵が戻り、戦車などで遺体や虐殺の跡を隠してしまい、遺体の場所は今も分からない。碑文はそのことにも言及していたという。

一方、ハミ村から十数キロ離れた同省フォンニィ・フォンニャット村では1968年2月12日、住民74人が韓国軍により殺害された。近くを通る幹線道路でこの日早朝、韓国軍の戦車が地雷を踏んで爆発したため、近くにあった同村に攻撃を仕掛けたとされる。

生存者のトラン・バン・タさん(59)は、こう証言する。

「家に弟と妹の3人でいたところ、午前10時ごろに韓国兵に踏み込まれ、家の防空壕に入るように言われた。中に手投げ弾を投げ込まれたが、奇跡的に爆発しなかった。空腹になり午後3時ごろ外にでると、米兵が南ベトナム兵と、殺された村人の写真を撮っていた」

米軍も把握していたこの虐殺が、広く知られるようになったのは、韓国の民間団体が調査に来てからだという。同団体と村で2004年ごろ建てた慰霊碑には、犠牲者名と「韓国兵士に74人が虐殺された」と簡潔な説明があり、地方政府が史跡指定している。

タさんは、「退役韓国兵は、この村にまだ誰も来ていないから、文句の言いようもないのだろう。韓国から学生が慰霊に来ることもあるが、虐殺について学校などで教えられておらず何も知らない」と述べた。

地元記者によると、ベトナム政府は、外交問題に発展しないかぎり、地域レベルで虐殺の慰霊碑などを作ることなどは、不満の「ガス抜き」の意味もあり、自由にさせているという。

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韓国軍撤退後の1973年にサイゴン(現ホーチミン)を訪れた司馬遼太郎は、韓国人を指す「ダイハン(大韓)」の言葉が住民に「憎悪と嫌悪をよびおこす」とし、米兵よりも「始末がわるい」との評判を記した(『人間の集団について』中公文庫)。

だが、韓国兵の襲撃を受けた1年前、やはり自宅近くで、他の十数人の村人とともに、母と妹2人を米兵に殺害され遺体を井戸に捨てられたというタさんは、「米兵も韓国兵も、残虐性において何の違いもない」と、当時の悲惨な状況を振り返った。

韓国軍による虐殺を目の当たりにした住民の心の傷が癒やされることはない。

 

韓国大統領の「遺憾」にメディアの関心低く

韓国の文在寅(ムン・ジェイン)大統領は今年3月23日、訪問先のベトナムで、「両国間の不幸な歴史に対し遺憾の意を表する」と述べた。韓国の聯合ニュースは、ベトナム戦争時の韓国軍による民間人虐殺に対し、初めて公に遺憾の意を表明したとした。

ただ、韓国外務省は、かつて何人かの韓国大統領が遺憾を表明しており、文氏の発言も「それに沿ったもの」であり、従来姿勢を踏襲したものだと説明する。

韓国国内では、文氏の「遺憾」表明に、左派紙のハンギョレが社説で「当然すべき発言で評価する」「ベトナム政府は公式に韓国に謝罪を要求していないが、被害を与えた韓国としては機会のあるごとに過去の誤りに対し頭を下げることが必要だ」と主張した。しかし、その他の主要メディアは、文氏の遺憾表明については事実関係を報じた程度で、あまり関心を示していない。

国交樹立(1992年)以降の韓国政府の対応を見ると、98年に当時の金大中(キム・デジュン)大統領がベトナムを訪問した際、「不幸な時期があった」と「遺憾」を表明。2001年に金氏が訪韓したチャン・ドク・ルオン国家主席(当時)に対し首脳会談で、「不幸な戦争に加わり、本意ではなかったがベトナム国民に苦痛を与えたことについて申し訳なく思う」と初めて公式に謝罪した。

金氏の発言に対し当時、野党や退役軍人らから「謝罪は行き過ぎだ。参戦将兵の名誉を傷つける。大統領の歴史認識を疑う」などとの批判が出た。特に、野党ハンナラ党副総裁だった朴槿恵(パク・クネ)前大統領は、ベトナム参戦を進めた朴正煕(パク・チョンヒ)元大統領の長女で、「自由民主主義体制に対する確固たる信念がない」と語り、金氏の国家観に疑問を呈した。

韓国は1964~73年、米国以外の国家としては最大の延べ約32万人をベトナムに派兵。韓国軍による虐殺被害者は9千人以上とする推計もあるが、韓国外務省は「(犠牲者数を示す)発表は一切していない」として、事実関係は不明なままになっている。

一方、言論統制の厳しいベトナムのメディアは、今回の文氏の発言を伝えなかった。ベトナム政府は韓国政府に虐殺事件の補償も謝罪も求めていない。背景には、経済的な結びつきを強める韓国への反感を押さえ込もうとの配慮と、「国内対立に再び発展しかねない、南北内戦に絡む全ての歴史を封印し、国家の団結と前進を図る思惑」(地元記者)があるようだ。(名村隆寛がソウルで補足取材しました)

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