毎日新聞の捏造【百人斬り競争】

毎日新聞の捏造【百人斬り競争】

「百人切り」朝日新聞と毎日新聞が捏造創作

 

昭和十二年夏、支那事変がおこり日本軍は北京や天津をつぎつぎ攻略していき、八月には じまった海での戦いも、十一月には日本軍の追撃戦となりました。そして、十二月一日、首都南京の攻略が決定され十三日、南京が陥落しました。
国内は戦勝に沸き、それに呼応するかのように、十一月末から十二月にかけ、毎日新聞にふたりの将校の華々しい記事が載りました。
記事とは、どちらが早く中国兵百人を斬るか競争が行われているというものでした。向井敏明少尉野田毅少尉のふたりが、毎日十数人の中国兵を斬りながら南京に向かっているという捏造を展開
そのころの新聞には、このような創作記事がよくみられました。ヨタ記事だと批判されもしましたが、戦争のさなか、戦意昂揚の記事だとして、深く受け止められることもなく、若いふたりの将校の名は有名になりました。

 

東京日日新聞(毎日新聞)、昭和12年(1937年)11月30日朝刊

百人斬り競争!両少尉、早くも八十人

常州にて廿九日浅海、光本、安田特派員発

常熟、無錫間の四十キロを六日間で踏破した○○部隊の快速は
これと同一の距離の無錫、常州間をたつた三日間で突破した、
まさに神速、快進撃、その第一線に立つ片桐部隊に
「百人斬り競争」を企てた二名の青年将校がある。
無錫出発後早くも一人は五十六人斬り、一人は廿五人斬りを果たしたといふ、
一人は富山部隊向井敏明少尉(二六)=山口県玖珂郡神代村出身=
一人は同じ部隊野田毅少尉(二五)=鹿児島県肝属郡田代村出身=
銃剣道三段の向井少尉が腰の一刀「関の孫六」を撫でれば
野田少尉は無銘ながら先祖伝来の宝刀を語る。

無錫進発後向井少尉は鉄道路線廿六、七キロの線を大移動しつつ前進、
野田少尉は鉄道線路に沿うて前進することになり一旦二人は別れ、
出発の翌朝野田少尉は無錫を距る八キロの無名部落で
敵トーチカに突進し四名の敵を斬つて先陣の名乗りをあげ
これを聞いた向井少尉は奮然起つて
その夜横林鎮の敵陣に部下とともに躍り込み五十五名を斬り伏せた。
その後野田少尉は横林鎮で九名、威関鎮で六名、廿九日常州駅で六名、
合計廿五名を斬り、向井少尉はその後常州駅付近で四名斬り、
記者等が駅に行つた時この二人が駅頭で会見してゐる光景にぶつかつた。

向井少尉
この分だと南京どころか丹陽で俺の方が百人くらゐ斬ることになるだらう、
野田の敗けだ、俺の刀は五十六人斬つて歯こぼれがたつた一つしかないぞ

野田少尉
僕等は二人共逃げるのは斬らないことにしてゐます、
僕は○官をやつてゐるので成績があがらないが
丹陽までには大記録にしてみせるぞ

 

野田 毅(のだ つよし、1912年 – 1948年1月28日)は、日本陸軍の軍人。敗戦時の階級は陸軍少佐。南京攻略戦の際に実施されたとされる「百人斬り競争」実行の容疑者として逮捕・処刑された。

向井 敏明(むかい としあき、1912年6月3日 – 1948年1月28日)は、日本陸軍の軍人。山口県出身。 敗戦時の階級は陸軍少佐。日中戦争に参加、南京攻略戦の際に実施されたとされる「百人斬り競争」[1]の容疑者として逮捕され、南京にて処刑された。

中国は戦後の「南京軍事法廷」で、敵兵(中国兵)を斬った日本軍将校を死刑にしたのですから、めちゃくちゃであり、悪いのは中国でした。戦後20年以上が経ち、朝日新聞の本多勝一が話を捏造して破壊工作を展開していくことになる。

本多勝一は反日破壊工作の使命を果たすため、降伏を呼びかけられて塹壕から出てきた無抵抗の蒋介石軍兵士らを並ばせておいて、かたはしから斬った」とウソを書き加え、敵陣で敵兵を斬ったという東京日日新聞(毎日新聞)の当時の「武勇談」(作り話)は、20年以上経って、朝日新聞の本多勝一によって無抵抗の捕虜の「据えもの斬り」競争に摩り替えられたのです。
東京日日新聞の後身である毎日新聞社は、平成元年(1989年)に自社発行した『昭和史全記録』という本のなかで、
次のとおり「百人斬りは事実無根だった」(P178)と記述しています。

 

いわゆる「百人斬り」についての検証資料 『プロパガンダ写真館 軍刀編』
http://resistance333.web.fc2.com/propaganda/guntou1.htm
http://resistance333.web.fc2.com/propaganda/guntou2.htm
http://deliciousicecoffee.blog28.fc2.com/blog-entry-6320.html

 

 

 

『昭和史全記録』 毎日新聞社

この記事は当時、前線勇士の武勇伝として華々しく報道され、戦後は南京大虐殺を象徴するものとして非難された。ところがこの記事の百人斬りは事実無根だった。向井少尉はこのとき手足に重傷を負っていた。東日記者に会ったのは南京の手前で、冗談に「花嫁を世話してくれ」と言うと「天晴れ勇士として報道されれば花嫁候補はいくらでも集まる」とこの記事になったという。向井は47(昭和22)年4月、東京軍事法廷に召喚されたが、新聞記事は事実ではないと釈放。2カ月後、再召喚され中国軍事法廷に立たされ「百入斬りの獣行により日本女性の欲心を買わんとしたことは現代人類史上聞いたことがない」と死刑の判決。
ふたりは、48(昭和23)年1月28日、南京雨花台刑場で銃殺された。

佐藤振壽カメラマンの証言

百人斬り競争が虚構だと誰もが認めたにもかかわらず、訂正することも、謝ることもしない者が相手です。遺書や論争記録のほかに、さらに証拠をつきつけなければなりません。
百人斬り競争の報道には五人がかかわっていました。ふたりの将校のほか、記事を書いたふたりの記者と、ふたりの将校を撮ったカメラマンです。このうちカメラマンの佐藤振壽さんが健在でした。
そして、佐藤カメラマンは九十一歳という高齢でしたが、当時のことをよく覚えていました。
佐藤カメラマンに当時のことを話してもらうことも大切だと考えた遺族は、佐藤カメラマンの証人申請をして認められました。
平成十六年七月十二日、証言台にたった佐藤カメラマンは、南京に向かう途中で百人斬り競争の話を聞いたときのことを、「百パーセント信じることはできません」「あたかもチャンバラごっこみた
いに、目の前の兵隊を、一人斬った、二人斬ったと、そういうような戦争の形は私は見てませんから信用できません」と話した。

 

 

 

 

2015/03/24 に公開

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朝日新聞が、慰安婦強制連行にまつわる「吉田証言」関連報道を訂正したが、稲田朋美政調会長によれば、「百人斬り競争」も同じように訂正されなければならないとの考えを明らかにした。冤罪で処刑された向井・野田両少尉の名誉回復の為と、現在も進行中の「南京大虐殺プロパガンダ」の防衛行動として、毎日新聞や朝日新聞に真摯な対応を求めます。

南京市民の虐殺などしていないと証言する元日本兵の方々

 

 

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