氏族って何

氏族って何

氏族(しぞく、うじぞく、英語: clan)とは、共通の祖先を持つ血縁集団、または、共通の祖先を持つという意識・信仰による連帯感の下に結束した血縁集団のこと。

単系出自集団(unilineal descent group。特定の祖先から男性または女性のみを通じて親子関係がたどれる子孫の作る集団)の一つ。特定の男性祖先から男性のみを通じて出自がたどれる子孫から成る集団を父系出自集団といい、特定の女性祖先から女性のみを通じて出自がたどれる子孫から成る集団を女系出自集団という。これらの集団のうち、成員が互いの系譜関係、あるいは共通祖先との系譜関係を把握している集団はリニエッジ(lineage)といい、伝説上・神話上の共通祖先を持っているという意識・信仰があるのみで、系譜関係がはっきりしない集団をクラン(clan)と呼んで、両者を区別する。同じ氏族の男女の結婚を禁じる結婚規制が広く見られる(氏族外婚)。これは、互いの系譜関係がたどれぬ場合であっても同じ氏族であれば血縁関係を擬制して規制することから、必ずしも近親婚の禁止とは重ならない。

皇別

皇別(こうべつ)もしくは王孫(おうそん)とは、王家や帝家、とりわけ日本の皇室の一門の中で臣籍降下した分流・庶流の氏族を指す言葉である。皇室同様男子血統でつながらなければならない。皇別とは弘仁6年(815年)に朝廷が編纂した古代氏族の系譜集『新撰姓氏録』が、皇別(天皇・皇子の子孫)・神別(天津神・国津神の子孫)・諸蕃(朝鮮半島・中国大陸その他から渡来した人々の子孫)の3種に氏族を分類していることにちなむ用語である。江戸時代以降は王孫という呼び名も用いられた。

皇別・王孫は天皇が大王であった古代から存在し、財政や後継者争いの防止の観点から現天皇と血筋が遠くなった傍流の皇族や、天皇の子供でも側室や愛妾の子供であるものに姓を与える形で誕生した。彼らは皇族に準ずる存在として高い尊敬を受けたが、やがて藤原家の外戚政治が確立していく中、2・3代ほどで没落する例がほとんどになった。

皇別氏族の中には地方で武士の棟梁として活躍するものもおり、桓武平氏と清和源氏はその代表例である。9世紀には桓武天皇の 5世孫である桓武平氏の平将門が新皇として短い間ではあったが関東に君臨した。また日本で最初に政権を取った武家は、桓武平氏の平清盛であるとされている。清和源氏は源頼朝が平氏本家を打ち破った後鎌倉に幕府を開き(鎌倉幕府)、3代にわたって東日本を統治した結果、武家の盟主として広く認められるようになった。後に源氏の分家である足利家は室町幕府を開き、武士の勢力の伸張と天皇の権威・権力の衰退にも助けられ、15代240年にわたり征夷大将軍として日本に君臨し、外交、内政、軍事を差配した。

また公家の間にも引き続いて皇室から高位の公家に養子に入る形での皇族の血を引くが家系もある。すなわち近衛信尋以降の近衛家、一条昭良以降の一条家、鷹司輔平以降の鷹司家の3家であり、これらの分家の内男子血統で続いているものや、これらの家から養子を迎えた後男系で続いている家は皇別摂家と呼ばれることもあるが、明治時代の華族の類ではいずれも神別(藤原氏後裔)として扱われている。

皇室の庶家としてその家系は価値を有しており、歴史上皇別・王孫の氏族の出であると偽ったものも少なくない。たとえば滋野氏は、貞保親王の裔を称しており、華族の類でもそう扱われているが、滋野氏の系統には諸説が有る。しかし皇別でも有力でない氏族は藤原氏など著名な神別姓を称することもある。

また旧皇族も定義に従えば皇別・王孫であるが、あまりそのようには呼ばれない。

著名な皇別氏族

 

飛鳥時代以前

  • 阿蘇氏(公)- 神武天皇の子、神八井耳命の裔
  • 多氏(朝臣)- 神武天皇の子、神八井耳命の裔
  • 新田部氏(宿禰)- 安寧天皇の子、磯城津彦命の裔
  • 小野氏(臣、後に朝臣)- 孝昭天皇の子、天足彦国押人命の裔
  • 越智氏(宿禰)- 孝霊天皇の裔
  • 息長氏(真人)- 応神天皇の裔
  • 阿倍氏(朝臣)- 孝元天皇の裔。後に安倍氏を称する。
  • 紀氏(臣、後に朝臣)- 孝元天皇の孫、武内宿禰の裔。紀伊国造家とは別系統
  • 葛城氏(臣)- 武内宿禰の子、葛城襲津彦の裔
  • 蘇我氏(臣)- 武内宿禰の子、蘇我石川の裔
  • 田口氏(朝臣)- 武内宿禰の子、蘇我石川の裔
  • 巨勢氏(朝臣)- 孝元天皇の裔。後に安倍氏を称する。
  • 小槻氏(宿禰)- 垂仁天皇の裔
  • 多治比氏(公、後に真人)- 宣化天皇の裔、多治比古王を祖とする。

 

奈良時代

  • 高階氏(真人、後に朝臣) – 天武天皇の子、 高市皇子を祖とする。
  • 橘氏(宿禰、後に朝臣) – 県犬養橘三千代とその子、橘諸兄と橘佐為を祖とする。
  • 文室氏(真人) – 天武天皇の子、長皇子の子らを祖とする。

 

平安時代以降

  • 清原氏(真人、後に朝臣) – 天武天皇の子、舎人親王の子を祖とする)
  • 良岑氏(朝臣) – 桓武天皇の子、良岑安世を祖とする。
  • 平氏(朝臣) – 桓武天皇の子孫など複数の系統がある。
  • 在原氏(朝臣) -平城天皇の子、阿保親王・高岳親王を祖とする
  • 源氏(朝臣) – 複数の系統があり、嵯峨天皇の子の嵯峨源氏から正親町天皇の曾孫を祖とする広幡家まで幅広い。
  • 中原氏(宿禰、後に朝臣) – 安寧天皇の裔である十市氏首が改姓

 

神別

神別(しんべつ)とは、古代日本の氏族の分類の1つ。

平安時代初期に書かれた『新撰姓氏録』には、皇別・諸蕃と並んで、天津神・国津神の子孫を「神別」として記している(「天神地祇之冑、謂之神別」)。さらに神別は「天孫・天神・地祇」に分類され、天孫109・天神265・地祇30を数える。なお、こうした区分は古くからあったらしく、これは律令制以前の姓のうち、「臣」が皇別氏族に、「連」が神別氏族に集中していることから推測されている。

天津神・国津神

天津神・国津神(あまつかみ・くにつかみ)は、日本神話に登場する神の分類である。大国主など、天孫降臨以前からこの国土を治めていたとされる土着の神(地神)を「国津神天照大神などがいる高天原の神を「天津神」という。

天津神は高天原にいる神々、または高天原から天降った神々の総称、それに対して国津神は地に現れた神々の総称とされている。ただし、高天原から天降ったスサノオや、その子孫である大国主などは国津神とされている。

日本神話において、国津神がニニギを筆頭とする天津神に対して国土(葦原中国)の移譲を受け入れたことを国譲りとして描かれている。ヤマト王権によって平定された地域の人々が信仰していた神が国津神に、ヤマト王権の皇族や有力な氏族が信仰していた神が天津神になったものと考えられる。国津神については、記紀に取り入れられる際に変容し、本来の伝承が残っていないものも多い。日本書紀ではしきりにある文として伝承等を引用している点から、その記録文書は後世では失われてしまった。

「つ」は現代語の「の」のことで、天の神・国の神という意味であり、「天つ神」、「国つ神」と表記することもある。漢字二字で天津神を「天神」(てんじん)、国津神を「地祇」(ちぎ)とも言い、併せて「天神地祇」「神祇」と言う。「天神地祇」「神祇」という呼称は中国の古典に見えそれが出典という説も存在するが、日本のものとは概念が全く異なる別ものである。

 

天津神

 

別天津神

  • 造化三神…天之御中主神、高皇産霊神、神産巣日神
  • 宇摩志阿斯訶備比古遅神、天之常立神
  • 神世七代
    • 国之常立神、豊雲野神、宇比地邇神・須比智邇神、角杙神・活杙神、意富斗能地神・大斗乃弁神、淤母陀琉神・阿夜訶志古泥神、伊邪那岐神・伊邪那美神
  • 主宰神
    • 天照大神
  • その他
    • 天忍穂耳命、邇邇芸命、思金神、建御雷神、天手力男神、天児屋根命、天宇受売命、玉祖命、布刀玉命、天若日子、天之菩卑能命など

 

国津神

  • 主宰神
    • 大国主神
  • 大国主の御子神
    • 阿遅鋤高日子根神、下照比売、事代主、建御名方神、木俣神、鳥鳴海神
  • 大国主の配偶神
    • 須勢理毘売命、八上比売、沼河比売、多紀理毘売命、神屋楯比売、鳥取神
  • その他
    • 椎根津彦、須佐之男命、櫛名田比売、少名毘古那神、大物主神、久延毘古、多邇具久、大綿津見神、大山津見神、宇迦之御魂、大年神、木花之佐久夜毘売、玉依比売、豊玉毘売、八束水臣津野命、多紀理毘売命、市寸島比売命、多岐都比売命、伊勢津彦など

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