捏造だらけの韓国史

捏造だらけの韓国史

 

3月1日は、日本統治下の朝鮮における独立運動「三・一運動」の100周年にあたる。韓国では、史実とはかけ離れた反日史観が炸裂(さくれつ)し、事実の捏造まで交えながらキャンペーンが行われることが予想される。

そこで、最近、刊行した『捏造だらけの韓国史』(ワニブックス)では、「三・一運動を機に日本の朝鮮統治は安定し、皇民化へ向かって大きく舵が切られた。100周年を機に、韓国の反日攻勢はさらに加速していくだろうが、日本国民はそういう虚構に毅然(きぜん)として立ち向かう覚悟が必要だ」というようなことを書いておいた。

また、すでに発売になった月刊『Hanada』では『三・一独立運動は文在寅の捏造』、3月1日に発売される月刊『正論』でも「韓国『三・一独立運動』のウソ」という記事をそれぞれ掲載している。

『正論』の記事は、韓国史の中でのこの事件の位置づけを総論的に論じる中で、彼らの嘘を糾弾している。Hanadaのほうは、そのときの首相である岩手県盛岡出身の原敬と、事件後に総督に原から指名された同県水沢出身の斎藤実(まこと)のふたりが打ち立てた素晴らしい朝鮮統治政策のお陰で、その後、26年にわたり朝鮮統治は微動だにしない安定のもとで行われたかを論じている。

「独立運動の原点」なんてウソ八百であることを明らかにしている。どうせ文在寅が3月1日に大法螺吹くだろうから、その前にきつい一発を見舞っておく。

韓国の憲法では、韓国は三・一運動の後、中国・上海で成立した大韓民国臨時政府の法統を継ぐとしている。特に、文在寅大統領は、それを強調する立場をとっている。

三・一運動のきっかけは、かつて大韓皇帝だった高宗(ゴジョン)の死である。高宗の次男である李垠(イ・ウン)が、梨本宮方子(まさこ)女王と結婚することになった(長男が最後の皇帝の皇帝だった純宗だったが、病弱で子供がなかった)。
高宗は皇室に準じる待遇を与えられた李王家の安泰と自分のDNAの継承を保証するこの結婚を喜んでいたのだが、「高宗が反対しており自殺した」とか「暗殺された」というデマが流れたのがきっかけで大混乱となった。

しかし、「死者7509人」という日本の教科書にまで使われている数字は海外の運動家が根拠がないが噂と称して流したプロパガンダで、南京事件30万人以下のねつ造数字だ。

また、この騒動の後、原敬首相や斎藤実総督による本格的な皇民化を目指した政策が成功し、それまでは摩擦があった日本による朝鮮統治はまれにみる安定をみせるようになった。その結果、終戦までほとんど混乱なく安定したのである。原は盛岡、斎藤は岩手県水沢(奥州市、仙台藩家老のミニ城下町。小沢一郎の出身地)出身で、「戊辰戦争で反官軍だった自分たちが体制の中心に座るようになった経験を、朝鮮にも適用可能だ」と考えた。

原は日韓併合直後から「将来は朝鮮人に参政権も付与すべきだ」としていた。また、運動の指導者たちの多くも、総督府の融和政策に応えて、創氏改名や日本語教育推進といった皇民化政策の積極的協力者になったのである(むしろ彼らの要望に総督府は応えたのである。三・一独立宣言の起草者は朝鮮語教育の廃止まで要求するようになった)。

そうした意味で、「三・一運動」は独立運動でなく、日本統治安定の出発点として位置づけられるべきものといえる。
また、もう少し詳しく紹介するが、今回は『正論』の発売前でもあるので、このあたりにとどめておく。

 

 

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八幡 和郎

 

 

日韓併合というのは、1910年に日本が韓国(当時は大韓帝国)と結んだ条約で、韓国を日本の領土にしたことをいいます。このときから1945年までの35年間、朝鮮半島は日本の支配下に置かれたのですが、韓国の人々は、これをなぜか「日帝36年」といって、いまだに根にもっています。

それは気持ちとしてはわかるのですが、少なくとも国際法上は、日韓併合条約は大日本帝国と大韓帝国の合意のもとに調印・批准された正式の外交文書です。この条約が日本の圧倒的な軍事的優位のもとに結ばれたことは事実ですが、当時の韓国では多くの餓死者が出て、100万人の韓国人が「日韓合邦」を求める請願書を出しました。


もちろん日本が善意で韓国を助けたのではありませんが、韓国から「搾取」したわけでもありません。韓国の教科書に「日本の朝鮮総督府は40%の土地を接収し、生産された米の半分を収奪した」などと書いてあるのは嘘で、総督府は朝鮮人の土地所有権を確認しただけで、国有地は全国の土地の3%程度でした。

1910年には1300万人だった朝鮮の人口は、占領末期の1942年には2550万人に倍増し、この間に工業生産は6倍以上になりました。植民地時代の朝鮮の資本蓄積の90%は日本の資本によるもので、この投資を回収する前に日本は戦争に負けたので、日韓併合は結果的には大幅な赤字でした。これは満州も同じで、植民地支配は割に合わなかったのです。

しかしソウルの南にある「独立記念館」では、上の写真のような日帝の悪行が毒々しいろう人形で展示してあり、韓国の小学生は必ず遠足で行きます。実際に植民地時代を経験した韓国人は日本語もわかり、日本人に悪い感情はもっていないのですが、こうした反日教育を受けた戦後世代のほうが反日感情は強い。これは韓国の軍事政権が民衆の反発を反日感情でごまかそうとしたためで、台湾にはこういう反日感情はありません。

実はこのように植民地支配が赤字になったのは、日本だけではありません。最近の「数量経済史」とよばれる、数字で歴史を実証する研究によれば、19世紀後半からイギリスが植民地から得た利益はGDP(国内総生産)のたかだか数%で、20世紀になってからは赤字だったと推定されています。第2次大戦後、イギリスの植民地のほとんどは独立しましたが、これによってイギリスの財政は助かったのです。

それでもイギリスは16世紀以降の長期でみると大幅にもうけた国で、産業革命といわれる資本蓄積の大部分は、新大陸(アメリカ)などから巻き上げた富によるものでした。500年前から通算すると、オランダは黒字でしたが、スペインはプラスマイナスゼロぐらいで、フランスとドイツは赤字だったと推定されています。植民地でもうける以上に、軍事費の負担や戦争の被害が大きかったからです。

しかし、こうした国々が近代化を進める上で、植民地を奪い合う帝国主義の戦争が大きな推進力になったことは間違いありません。20世紀初めには、世界の陸地の実に84%がヨーロッパの国の領土になりました。そのわずかな例外が、日本と中国でした。日韓併合しなければ、朝鮮はソ連の植民地になったでしょう。日本人にとってはそのほうがよかったのですが、韓国人にとってはどうでしょうか。

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