2018年8月

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GHQ焚書図書開封 第1回~第10回

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歴代天皇44 元正天皇

生年:天武9(680) 没年:天平20.4.21(748.5.22) 奈良時代前期の女帝。在位は霊亀1(715)年9月から神亀1(724)年2月。名前は氷高皇女。天武天皇皇太子草壁皇子と元明天皇の長女。 和銅7(714)年二品で食封1000戸を与えられ,翌8年1月一品。9月母の譲位を受け36歳で即位。 このとき,のちの聖武天皇は15歳であるが未だ幼稚とされ,一方氷高は落ち着いた考え深い人柄であり,社稷保持のために即位するとしている。その治世前半は母上皇と藤原不比等,ふたりの死後は長屋王が政権を担当。律令支配が軌道にのりその矛盾が早くも表面化するなかで,国郡分割・郷里制施行など地方行政組織の整備,計帳他文書行政の充実,浮浪人・私度僧対策,養老律令選定,『日本書紀』の完成,さらに土地対策として養老6(722)年良田百万町歩開墾計画と翌年三世一身法発布などの政策が打ち出された。神亀1年聖武に譲位,太上天皇となる。3年夏大病となるが回復。 天平1(729)年には妹吉備内親王とその夫長屋王が誣告により自殺し光明立后が実現するが,これに関して,またその後の政治の変動についても彼女の立場は不明である […]

関西生コン特集

悪の権化と呼ばれる関西生コンとは、何なのか。どういった組織なのか。検証してみたいいと思います。 連帯労働組合関西地区生コン支部、略称が連帯労組関西生コン支部 、連帯ユニオン関西生コン支部、関西生コン 、生コン支部 などと呼ばれる。社民党や新社会党の支持団体である。 \選ばれ続ける/にんにく卵黄 ★彡 1965年に「全自運関西地区生コン支部」として出発した時から(その前史も含めて)  一貫して共産党員が委員長初めとする役員の大半を占め現場叩き上げの生コン労働者が共産党から教育を受けて労働運動や政治運動に邁進し、共産党党員になって、共産党の指導と指揮に従って労組活動をしてきました。 武委員長の講演の記録を見ると、共産党との分岐当時、関生には共産党員が500名くらいいたとあります。講演では「・・事実は関生党員みたいな性格が強かった。 共産党の攻撃の時には、その99%が共産党を脱退した。」と 共産党との分岐が決定的になったのは、関生労組の「ヨーロッパ型の産別労組」としての運動と組織が大前進したことによって、中央財界にまで強烈な嫌悪と危機感を呼び起こしたことによる80年頃からの組織破壊的な連続弾 […]

歴代天皇43・ 元明天皇

天智天皇の第四皇女、阿閉皇女(あへのひめみこ)。 母は姪娘(蘇我倉山田石川麻呂の娘)。草壁皇子の正妃で、文武天皇と元正天皇、吉備内親王(次女)の母。   661年(1才)  誕生(この年、朝廷は百済復興のための遠征中)、父・中大兄36才 671年(11才) 父・天智天皇(46才)没 672年(12才) 壬申の乱、異母兄・大友皇子敗死 673年(13才) 叔父・天武天皇即位、飛鳥浄御原宮に移る 675年(15才) 十市皇女とともに伊勢神宮に参赴する(2月) 680年(20才) 長女・氷高(元正天皇)誕生 681年(21才) 草壁皇子(20才)立太子(2月) 683年(23才) 長男・珂瑠(文武天皇)誕生 686年(26才) 天武天皇没、持統天皇称制始まる(9月) 689年(29才) 草壁皇子(28才)没(4月) 690年(30才) 持統天皇(46才)即位(1月) 694年(34才) 藤原京に遷都(12月) 697年(37才) 長男・珂瑠皇子(文武天皇・15才)立太子(2月)、文武天皇即位(8月) 701年(41才) 孫・首皇子(聖武天皇)誕生 702年(42才) 持統太上天皇没 […]

大国の傲慢(第一次世界大戦の真実)

1914年6月28日、ボスニアの州都サライェヴォを訪れたオーストリアのフランツ・フェルデナント皇太子とその妃ゾフィーが、セルビアの青年に暗殺された事件であった。 統一国家の体を成していなかったドイツは、18世紀にビスマルク率いるプロイセン王国が中心となってオーストリアを排除するカタチでドイツの統一が進むことになる。 そんな新興国・プロイセンを警戒したのが、フランスです。19世紀末になると、プロイセンとフランスによる普仏戦争が起こります。勝利したプロイセンは1871年、国王ヴィルヘルム1世がパリでドイツ皇帝に即位したことで、ドイツ帝国が誕生しました。一方、敗戦したフランス国内では反独感情が残る状態となりました。一方、オスマン帝国(トルコ)とロシアも古くから犬猿の仲でした。それは民族問題であり、ロシアの強い支配を受けているトルコ系民族を解放し、サマンカルドを都としたトルコ人の帝国を樹立するというパン=トルコ主義に基づいたものです。 ドイツは帝国主義国家の中間入りを目指し、アジアやアフリカに植民地拡大を図ります。イギリスはインドのカルカッタ、エジプトのカイロ、南アフリカのケープタウンをそれぞ […]

歴代天皇42・文武天皇

第42代天皇(在位697~707)。名は珂瑠(かる)。天武(てんむ)天皇の孫。草壁(くさかべ)皇子の第2子。 母は天智(てんじ)天皇の娘阿閇(あへ)皇女(のち元明(げんめい)天皇)。697年2月立太子、同年8月即位、藤原不比等(ふひと)の娘宮子(みやこ)を夫人とする。 ときに15歳。治世10年間のうちの前半は、祖母にあたる持統太上(じとうたいじょう)天皇が後見して政務一般を総覧したが、この時期には刑部(おさかべ)親王、藤原不比等らによって律令編纂(りつりょうへんさん)の大事業がなされた。 やがて令十一巻、律六巻が完成して、701年(大宝1)には年号を大宝(たいほう)と建元し、令・律は同年から翌年にかけて施行された。これがすなわち大宝律令であり、ここに名実ともに律令国家体制は確立したのである。 しかし治世の後半には災害や飢疫の流行などによる世情不安から、いわゆる慶雲(けいうん)の諸改革を断行して、早くも律令制を軌道修正した。また平城京遷都を望んだが果たせず、25歳の若さで世を去った。御陵は奈良県高市(たかいち)郡明日香(あすか)村の檜隈(ひのくま)安古(あこ)山陵。 天皇になった文武天皇 […]

アシュケナジムが仕掛けたロシア革命

最初のソ連政府メンバーの80~85%はユダヤ人だった」プーチン     英紙「モーニング・ポスト」の発表したソ連の高級委員 ソ連政府の各委員会の構成 ソ連政府の委員会 総数 ユダヤ人  %  人民委員会  23  17 77.2  軍事委員会  43  33  76.7  外務委員会  16  13 81.2  財務委員会  30  24  80.0  司法委員会  21  20 95.0 教育委員会  55  42  79.2  社会委員会  6  6 100  労働委員会  8  7 87.5  赤十字委員会  8  8  100  地方委員会  23  21  91.0  新聞記者  41  41  100 ニューヨークのロシア人亡命団体「ユニティ・オブ・ロシア」の人名簿による。   レーニン(ウリヤーノフ) メシュコフスキー(ゴールドバーグ)、 トロツキー(ブロンシュタイン)、 ステクロフ(ナハムケス)、 マルトフ(ゼデルバウム)、 ジノビエフ(アプヘルバウム)、 ダーセフ(ドラプキン)、 カーメネフ(ローゼンフェルト)、 スハノフ(ギンメル)、 […]

日本人が奴隷として売買されていたのを知っていますか!!

日本人奴隷の歴史 ポルトガルの奴隷貿易(ポルトガルのどれいぼうえき)では、主に16世紀以降のポルトガル人によるアジア人の奴隷貿易について述べる。ポルトガルにおいては古くから奴隷制が存在し、古代ローマ、ウマイヤ朝など時代を通じてそのあり方が変化してきた。15世紀以降の大航海時代になると、黒人を奴隷とする大西洋奴隷貿易が盛んになるが、ポルトガル人のアジアへの進出に伴い、アジア人を奴隷とする奴隷貿易も行われるようになっていた。 ポルトガル人が日本で日本人を奴隷として買い付け、ポルトガル本国を含む海外の様々な場所で売りつけるという大規模な奴隷交易に発展した   1555年の教会の記録によれば、ポルトガル人は多数の日本人の奴隷の少女を買い取り性的な目的でポルトガルに連れ帰っていた。日本人の女性奴隷は、日本で交易を行うポルトガル船で働くヨーロッパ人水夫だけでなく、黒人水夫に対しても、妾として売られていた、とポルトガル人イエズス会士ルイス・セルケイラ(Luís Cerqueira)が1598年に書かれた文書で述べている。日本人の奴隷はポルトガル人によってマカオに連れて行かれ、そこでポルトガ […]

歴代天皇 41代持統天皇

父は天智天皇(中大兄皇子)、母は遠智娘といい、母方の祖父が蘇我倉山田石川麻呂である。父母を同じくする姉に大田皇女がいた。 大化5年(649年)、誣告により祖父の蘇我石川麻呂が中大兄皇子に攻められ自殺した。石川麻呂の娘で中大兄皇子の妻だった造媛(みやつこひめ)は父の死を嘆き、やがて病死した。『日本書紀』の持統天皇即位前紀には、遠智娘は美濃津子娘(みのつこのいらつめ)ともいうとあり、美濃は当時三野とも書いたので、三野の「みの」が「みや」に誤られて造媛と書かれる可能性があった。美濃津子娘と造媛が同一人物なら、鸕野讃良は幼くして母を失ったことになる。 斉明3年(657年)、13歳で叔父の大海人皇子(後の天武天皇)に嫁した。中大兄皇子は彼女だけでなく大田皇女、大江皇女、新田部皇女の娘4人を弟の大海人皇子に与えた。斉明7年(661年)には、夫とともに天皇に随行し、九州まで行った。天智元年(662年)に筑紫国の娜大津で鸕野讃良皇女は草壁皇子を産み翌年に大田皇女が大津皇子を産んだ。天智6年(667年)以前に大田皇女が亡くなったので、鸕野讃良皇女が大海人皇子の妻の中でもっとも身分が高い人になった。 大海 […]

歴代天皇 40代天武天皇

686年10月1日(朱鳥元年9月9日))は、7世紀後半の日本の第40代天皇(在位:673年3月20日(天武天皇2年2月27日) – 686年10月1日(朱鳥元年9月9日))。   天皇との親疎で身分制度をつくる。 天皇を神格化する。 天皇自らの正当性を証明するための歴史書を編纂する。   天智天皇7年(668年) 天智天皇の皇太弟に立てられたとされる(否定する説もある)。 天智天皇10年(671年) 重病の天智天皇に後事を託されるも固辞し、出家して吉野に移る。 弘文天皇元年(672年) 壬申の乱で天智天皇の息子である大友皇子(弘文天皇)を破る。 弘文天皇2年(673年) 飛鳥浄御原宮にて即位する。 天武天皇4年(675年) 部曲を廃止する。占星台を設置する。 天武天皇5年(676年) 陰陽寮を設置する。 天武天皇7年(678年) 官人の勤務評定や官位の昇進に関して考選法を定める。 天武天皇8年(679年) 吉野に行幸する。皇后、草壁皇子らに皇位継承争いを起こさないよう誓わせる(吉野の盟約)。 天武天皇9年(680年) 皇后(後の持統天皇)の病気平癒のため […]

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