韓国軍によるタイビン村虐殺事件

韓国軍によるタイビン村虐殺事件

 

1966年2月、ベトナムビンディン省に駐屯していた大韓民国陸軍首都師団(通称猛虎部隊)(en)は早朝にタイビン村(Thái Bình /太平)[要出典]を訪れ、住民68名を1ヶ所に集めると銃撃を加えるとともに手榴弾を投げつけて婦女子を含む65名を殺害した。生存者はわずか3名であった。

タイビン村では虐殺された犠牲者名を記した慰霊碑と事件を記録した壁画が設けられ、生存者が虐殺の証言を行っている。2008年現在のベトナムでは韓国軍によって少なくとも9000名が虐殺されたとも、あるいは、30万人を超すベトナム人が虐殺されたとも言われている。

韓国政府は、ベトナムでの虐殺や強姦など、自国の過去の蛮行を公式に認めようとしていない。韓国兵の行為には韓国のメディアも人権活動家も目を向けなかった。その根底には、韓国人の、ベトナム人に対する人種差別意識が原因との見方もある

 

虐殺事件があったビンディン省タイビン村は、アヒルや鶏が小道を横切り、水田では水牛が遊んでいた平和な村であった。1966年2月、朝9時過ぎ、韓国軍が突然、タイビン村に進入してきた。
韓国軍は村の住民68人を1か所に集め、うつぶせにさせた。それから無警告で、突然、一斉に銃撃し、手榴弾を炸裂させた。

グエン・トン・ロンさんの12歳だった妹のフォンさんは頭をやられた。母は両足を一瞬にして失った。そこまで語ったロンさんが、目を真っ赤にして泣き出した。「母は死ぬ直前、助けてと叫んだ。私は足をやられ動けなかった。母を何もしてあげられなかった」。タイビン村で生き残ったのはグエン・トン・ロンさんと他2人の計3人だけだった。

「この傷を見てくれ」。グエン・トン・ロンさんは、突然、ズボンを下ろして足の傷を見せた。手榴弾の破片が体中に残っている。

痛みに耐えられないときは酒を飲む。この日も赤い顔をしていた。犠牲者の名を刻んだ慰霊碑の脇に壁画がある。虎のマークをつけた韓国軍猛虎部隊の兵士たちが、手榴弾を手に村人を追い立てる。家を燃やされ、泣き叫ぶ住民たち。グエン・トン・ロンさんは壁画を指さしながら「韓国のパク・チョンヒ軍は本当に怖かった」と言った。

ベトナムでは、虐殺事件のあった省の博物館が実態調査を進めている。「生後数か月の子供や老人が殺されている。赤ん坊や年寄りが武器を持っていますか。無抵抗です。本当にひどい」。

フーイエン省の調査の責任者、グエン・ティ・キムホア副館長が、虐殺の場所と犠牲者の数をまとめた報告書を読み上げた。フーイエン省内で33カ所679人の犠牲を確認と。

韓国軍は、なぜ、非武装・無抵抗の民間人を多数虐殺したのか。聖公会大学のハ・ノング教授は朝鮮戦争との関連を指摘する。「当時の韓国軍兵士たちは朝鮮戦争の体験者。共産主義者は人間ではない。

殺されなければならないという反共イデオロギーの中で成長しました。『アカ狩り=共産主義者抹殺』への心理的な準備が整っていました。」

韓国政府はベトナムでの韓国軍の虐殺について、きちんとした真相調査をしていない。

 

【無料】フランチャイズサポート厳選!オススメFC【資料請求】

韓国勢力の攻撃カテゴリの最新記事