南北朝鮮統一で日本に流入する野蛮人の群れ

南北朝鮮統一で日本に流入する野蛮人の群れ

統一朝鮮が平和を愛する国となればいいが、事実はその反対に動くだろう。

 

「非核化」を宣言したものの、北朝鮮は事実上の「核保有国」。同国は2006年の非核化合意を反故にして核・ミサイル開発を続けるなど、さまざまな”前科”がある。今後も開発を続けると考える方が、冷静な見方と言える。「近年韓国では、一国二制度を表す『連合国家』という言葉が好んで使われてるが、朝鮮民族は何かを恨む力で団結できます。このままでは、朝鮮半島に核を持った強烈な反日国家ができ上がるでしょう。」

 

東アジアの東洋的専制国家群はいずれも左翼政権で、歴史問題を政治のてこに使ってきます。贖罪(しょくざい)意識だけでは乗りきれない状況になった以上、彼らの言い分を受け入れるだけでは未来は開けない。
日本のお粗末な政治家は、目を覚まさないといけない。

 

朝鮮民族は日本人が考えるような甘い民族ではない 韓国が企てる統一への反日戦略とは

 

反日今から25年前、盧泰愚大統領時に韓国の歴史教育の過度に反日的な側面を批判したところ、学者たちはこう答えた。「韓国は負けてばかりの歴史です。今は少しだけ勇気を出せという歴史教育をしている。その過程で反日的な側面が出てくるのです。分かってください」と。その低姿勢に同情し、われわれは矛を収めたものである。ところがその後、金泳三大統領の「歴史の立て直し」政策が始まり、自尊史観と反日の暴走が始まった。韓国は「歴史に学ぼう」と唱えるだけあって、李朝の「トウ塞(とうそく)」(ごまかし・逃げ口上)の歴史を民族の行動パターンとして濃厚に引き継いでいる。

満州族の清が馬をよこせといえば、分割払いにしてもらい、総頭数をごまかしたり、婚姻するから良家の子女を送れといわれれば、こっそり酒場女を集めて送ったりした。シナにやられてばかりの歴史ではないのだ。

李朝は国内では民族差別の朱子学で理論武装し、満州族の清を「禽獣(きんじゅう)以下の夷狄(いてき)」(獣以下の野蛮人)だと徹底侮蔑する教育をし、清からの文明流入を悉(ことごと)く防遏(ぼうあつ)した。同情を買うのは次の攻勢の準備段階である。

最近の報道によれば、日韓の国際会議で日本側が韓国の中国傾斜を指摘すると「事実ではないのでその言葉は使わないでほしい」といい、中国に苦汁をなめさせられた歴史からくる警戒や恐怖心を日本人に喚起するという。また、外務省の元高官が「韓国人には中国から家畜のようにひどい扱いをされた屈辱感がある」と話すそうである。当然心優しい市民派新聞の記者たちは同情し、韓国の中国傾斜論はよそうという記事を書く。

だが、これを放置すればやがて「韓国を中国に追いやったのは日本のせいだ」という論に成長することは、当然予測されるところである。そしてこれを欧米中に広める。朝鮮民族は日本人が考えるような甘い民族ではない。

朝鮮はシナの子分で、シナが朝鮮を操る歴史だと思っている人が多いがそうではない。ごまかしや逃げ口上でいつの間にか攻勢に出てくるので、どう扱ってよいのかよく分からないというのが中国の本音なのだ。今の中国は韓国と北朝鮮を手玉に取っているわけではない。できるだけ深く関わらないようにし、絶えず微調整しているのである。南北問わず朝鮮民族の「卑劣」に付き合うのは、日本も中国もロシアも苦手であ

韓国の中国傾斜論は、今日否定しようのない事実である。アメリカの促す高高度防衛ミサイル(THAAD)の設置を引き延ばす。これを李朝時代では「遷延(せんえん)」策といった。大国が難題を持ちかけるたびに臣下たちは「王様、遷延でよろしく」と願い出たものである。引き延ばして状況が変わり、相手が諦めるのを待つのである。

中国の南シナ海進出への批判も巧妙に避けている。韓民求国防相に東南アジア諸国連合(ASEAN)拡大国防相会議で航行の自由の保障を明言させたが、政府は何も言っていない。中国主導のアジアインフラ投資銀行(AIIB)に積極参加し、朴槿恵大統領は中国の抗日記念行事に出席し、軍事パレードの雛(ひな)壇で席次2位だったことを朝貢国のように喜んだ。

 

アメリカよりも中国の影響下の方が、南北で取引ができ統一がしやすいという思惑があるのである。ただそれを日本に追いやられたからという形に持っていき、アメリカの非難を自国に向けないようにしたいのである。実はこのような面倒なことをしなくとも、南北には統一の機が熟している。

哨戒(しょうかい)艦「天安」沈没事件(2010年3月)のときも、延坪島(ヨンピョンド)砲撃事件(同年11月)のときも、緊張が高まると必ず韓国が折れる。北朝鮮が謝罪したような折衷案を作ってくれと、韓国が非公開会議において金銭で懇請したと、11年6月1日には北朝鮮の国防委員会に暴露されたこともあった。

今年8月に韓国と北朝鮮の軍事境界線で起きた地雷爆発事件では、北朝鮮が「準戦時状態」を宣言し、南北高官による会談が開かれたが、韓国側の代表2人は北朝鮮シンパだった。加えて協議の映像が青瓦台に中継された。

国家安保戦略研究院の劉性玉院長は朝鮮日報8月24日付で、事件のたびにケーブルテレビによるボス交渉が行われていたことを暴露し、10月には盧武鉉時代の国家情報院の院長だった金万福氏が北との直通電話があったと発言した。

すなわち北朝鮮の核保有と歩調を合わせるように、韓国側が譲歩を重ねていったことが分かるのである。結論として、二度と朝鮮戦争は起きないであろう。

ならば、なぜすぐに南北統一へと向かわないのか。理由は、弱者の方の韓国が統一を主導したいからである。第2に、急に動けばアメリカ軍が撤退の速度を早め、韓国の主導が崩れるからである。第3に、今の生活を手放したくないという、気概のない民族性が統一の意志を妨げているからである。

(筑波大大学院教授・古田博司)

 

古田博司によると中国・韓国・北朝鮮のナショナリズムは、中華思想という古層の上に民族主義という新層が載った二重構造になっている。

古層には侮日観があり、新層には反日感情がある。韓国・北朝鮮の小中華思想では、朝鮮は中華の礼を最も純粋・正統に受け継ぐ「東方礼儀之国」であり、日本は華夷秩序で最下位に位置する野蛮人の地ということになっている。礼とはマナー、コスチューム、セレモニーのことだそうで、これらが中国古来の伝統に従っていないと、直ちに軽蔑の対象になり、いくら罵倒してもよいことになっている。江戸時代に来日した朝鮮通信使は、そうした日本を罵倒できるネタを鵜の目鷹の目で探していた。

倭言にいうカンムリは、いわゆる最上者の冠である。その形は盛り炭の容器のようだ。倭言のオリエボシは、いわゆる折烏帽で第二位である。その形は丁字のようだ。倭言のエボシは、いわゆる烏帽であり、その次の位である。奇々怪々で、ほとんど見るに忍びない。

[第二回従事官・李景稷『扶桑録』]

君父の喪に慟哭の節なし。親の死に至っても少しも哀しむ心がない。衣服飲食も普通の人とかわらない。

[第三回副使・姜弘重『東槎録』]

男子はみな半幅の青布で、へそから下を被っている。はなはだしいのになると隠さない。

[第四回副使・金世濂『金東溟海槎録見聞雑記』]

貴賎なく皆草履をはいている。形は平履の制のごときである。前部に一本の縄があって、そこに足指を掛けて挟んで歩く。その形はひどく奇怪である。足袋は蛇の舌のようである。

[第六回従事官・南龍翼『扶桑録』]

淫穢の行はまったく禽獣と同じで、家々では必ず浴室を設けて男女がともに裸で入浴し、白昼からたがいに狎れあう。

[第九回製述官・申維翰『日本見聞雑録』]

毎日丘の上に倭女が集まって来て、乳房を差し出して、頭を下げて来いといい、尻を出してたたき、手招きもし、服をたくしあげて下半身をちらつかせ、呼びもしたが、恥もなく、風俗も淫乱だ。

[第十一回三房書記・金仁謙『日東壮遊歌』]

その後もしつこく華夷秩序を持ち出すのは、「日本は朝鮮より未開で野蛮な状態にとどまるのが正しい」という「あるべき歴史」観の押し付けか、または軍事的・経済的劣位を無視して文化的優位を主張し精神的勝利感を得ようとする阿Q的な思考方式のいずれかだろう。

日本が日本海中の三島倭人として離れて暮らしていた頃、我が文明と礼儀作法を学び、東洋の開化をこうむっていたのだが、現今に至り、自分たちが昔から文化的な人種であるとかこつけ自慢しても歴史上の事実を拒むことはできず、東洋の文明を「韓国」からもらったということを認めているのである。「日本」は近世、世界の変動の鎮まった機会を捉えて、いわゆる西洋文明というものを吸収し、また一方西洋の兵器等と戦争上の軍略を学び、ついには「韓国」を占領した。

[李承晩「すべての同胞たちが三綱五倫を知り、護れ」1957年12月30日]

元来、東北アジア文化圏のなかで日本は、「倭人」といって中華文化の中心から遠く疎外された「絶域」に属していたという文化的「庶子」意識の劣等感が長期にわたって内在していた。

伝統文化の序列は、どこまでも中国-韓国-日本(倭)という厳然たる順序ができあがっており、古代から倭は(略)韓国を上国とあがめていた。(略)日本帝国主義の対韓文化政策の底辺には常に、伝統文化圏内における自己卑下と劣等感を外来文化の手先となって自己が属していた文化圏を攻撃することに快感をおぼえる自虐的、病的なコンプレックスが潜在しており、そのコンプレックスが植民地政策としてあらわれるとき、政策遂行が残忍かつサディスティックな性格を帯びるようになる。

[申一澈, 新東亜 1971年9月号]

中国皇帝がこの五王に贈った将軍称号が、高句麗、百済王に贈ったそれよりはつねに下位にあったものの、倭の他の有力者たちに贈ったものよりは上位に位置していたという事実は、中国を中心とする冊封体制にあっては、倭王は上記二国の王よりは低い地位にあったものの、日本国内では他の豪族より一段高い地位を認められていたことを示している。

[朝鮮日報編『韓国人が見た日本』1984年]

日本、日本人――かれらはいま、世界の先進国、先進国国民として世界をとび回っています。しかし日本人は、昔から世界を肩をいからして歩いたり、弱小国に向かって声高に威張りくさるような、そんな民族ではありませんでした。かれらは魚を獲って食べ、あるときは海賊をはたらいたりの、とるに足らない弱小民族でした。そのような力のない国だった日本が急に強くなり、わが国を掠奪したのです。

[都鐘煥編『韓くにのこどもたち』1990年]

周知の事実だが、日本という国は元々「武」を崇拝し、「文」すなわち文化は非常に遅れていた。彼らは壬辰倭乱の時、我々の庶民が使っていた椀をもって行き国宝に指定する程だった(略)筆者は日本の読書熱の背景には、文化が遅れている彼らが何かを学んで文化民族のまねをしようとする要望が隠れていると見る。

[金起秀「一事一言」朝鮮日報 1994年5月26日]

日本文化に対しては、それがすべて外来のものだとか、あるいはつまらないものであると主張されて来た。最近では何でも韓国起源にしてしまう韓国人が多いが、これについてはWikipediaの「韓国起源説」の項に詳しいので、ここでは省略する。

日本の風俗文化にしても、私の目には、そのすべてに朝鮮的なものを見いだすことができる。建築、仏寺はそのすべてといいたいくらいであるけれども、神社にしても、庭園にしても、和服にしても、生け花にしても、味噌、醤油にしても、生活のあらゆる領域の様式の底辺には朝鮮的なものがあった。

[金東旭『朝鮮文学史』1974年]

日本文化の性格を特徴づけるのに「月光文化」という言葉がある。(略)要するに、日本人は他人の長所をとって応用する術に長けており、月光のように、独創的ではないが、物まねには有能であるといえる。思考と論理においては論理性・体系性に欠ける。日本で禅仏教が盛んになったのもそのせいであろう。また島国である日本の文化はその規模と観点が狭いのも事実である。

[金海宗「日本・日本人・日本文化」新東亜 1981年4月号]

外来文物の移植に余念のなかった飛鳥、奈良をはじめ、中世日本――平安、室町、桃山、元禄と多事多端な文化の起伏――、大陸の文化は活発に日本へ流れ入り、体質に合わぬ文化は韓半島という媒介体を経由することによってその消化不良症を未然に防ぐことも心得ていました。中華大陸が日本文化の母なら、さしずめ韓半島は無償の忠実な乳母でありました。

[金素雲『こころの壁』1981年]

この世に日本人ほどケチな人間はいません。与えることができないというのは、文化がないということです。ケチな者は美と真理探究に関心がありません。文化があるとすれば、造花のようなものです。彼らはカネ集めと小さなトランジスターを作ることしか知りません。

[朴景利, 東亜日報 1982年8月21日]

日本はいつも人の枠組と中身を盗んで来るか貰って来て、磨き上げることしかしなかった。中身と枠組がない国、彼らの政治理念は創造の活力が萎縮した民族を作ったのだ。

[朴景利「日本散考」遺稿]

率直に言って、世界に普遍化されている文化のうち、日本のオリジナルなものはきわめてまれです。昔は中国や韓国から、そして近代以降は西欧からすべての文化を輸入したのが、日本文化の実情に他ならないからです。そうですから、その文化の表皮を一枚ずつ剥いでいくと、タマネギのように何も残りません。

[李御寧『「縮み」志向の日本人』1982年]

日本は外来文化を受け入れることに熟達している。これはすなわち、日本自体の文化がないという話になる。文化創造の歴史的資源がない日本の模倣文化は、日本の生存それ自体だ。日本は日本文化形成に多くの影響を与えた国に中国を指称したがるが、韓国が絶対的で、その次が中国・ヨーロッパ等だ。

[「日本の模倣文化と韓国の複写文化」慶南道民日報 2008年02月14日]

日本人は排他的な島国根性の持ち主であるという主張もよくなされる。

たいてい口げんかや感情争いで言葉を激しくするのは、劣等意識が大きい側だ。日本には島国で発源される根深い劣等意識が存在する。

[「日本人を正しく取扱う方法」オーマイニュース 2005年6月8日]

日本語の辞書に「島国根性」という単語がある。「島国の人々の排他的でせせこましい性質」という意味だ。島国根性から脱け出せない限り、日本は決して国際社会で指導的な役割を果たせない。

[「日本は閉じた‘島国根性’から脱け出せ」東亜日報 2005年8月1日]

こうした日本人の“心理”を理解できなければ交渉は同床異夢の果てに“不平等交渉”になるほかない。日本は間違いなく「君が1つ出せば、私も1つあげよう」というやり方の、はたから見れば対等な交渉を主張するだろう。こうした交渉の結果は目に見えている。

1億3000万人に迫る日本人一人ひとりが皆“非関税障壁”でねばっている限り、FTAを結んでも韓国が日本に売ることができる商品はほとんどないと思っても過言ではない。その上、日本は経済産業省が大型企業を後ろから手を差し出している。ソニーがシャープから液晶パネルの調達を受けて、半導体、携帯電話会社が合従連衝をしているのもすべて見えない手として作用する日本政府の教唆と作戦によるのだ。韓日FTAを決して楽観視することができない理由の数々だ。

[「韓日FTAと日本の排他主義」中央日報 2008年3月26日]

武士の伝統に対しては、ひねくれた解釈をして残虐性や執念深さを強調する。

「刀の文化」と呼ばれる日本に住んでみると、いつ、理由もなく、刀が飛び出してくるかもわからないという不安にかられる。このような刀の振り回しが頻発する理由とは何か。これは遺体に対して敬意を払わない文化的背景と「サムライ」支配社会からくる「刀の文化」に起因しているようである。これは近親結婚からくる精神病者が多いためではないだろうか。

[宋孝彬『これが日本だ』1985年]

封建領主らの戦いの後に徳川家康の天下統一の時代が展開したというが、その平和はサムライの刀によって維持される平和だった。武力と恐怖と位階秩序の規範によって維持される平和だったと言っても誤りではないだろう。このような刀の文化の伝統が現代の残忍な暴力モノに現れていると言ったら過言だろうか。

[金永明『日本の貧困』1994]

現代日本でサムライ式復讐の伝統がまだ濃く残っているのが政治であるらしい。恩怨関係による‘復讐政治’は、しばしば政界版図をひっくりかえす触発剤になる(略)復讐は‘サムライ国家’日本の精神世界の根を解くキーワード中のひとつだ。

[「日本の恩怨政治」朝鮮日報 2005年8月9日]

日本の総選挙で自民党の圧勝に寄与した「刺客候補」らが脚光を浴びていると言う。(略)「刺客選挙」が「小泉劇場」に観客たちを呼び集めるのに大成功をおさめたということだ。サムライの伝統がある日本で「刺客」という言葉が有権者たちにアピールする現象に対して、どう解釈すべきだろうか。

[宋チュンシク「刺客」京郷新聞 2005年9月13日]

日本は服従の帝国であり、それは日本の異常な教育のせいと解釈される。

韓国人の多くが猪突的に上(権力)だけを志向する僭越の相だとすれば、日本人の大多数は下に体をすくませる自己卑下型といっても過言ではないと思う。多くの日本人が家父長的な権威を仰ぎ、おかみに頼りながらその影響圏の枠内で安住しようとするならば、韓国人はなるべくその枠からはずれ、下から上に対して突き上げる飛翔の意志をもっているともいえる。

[朝鮮日報編『韓国人が見た日本』1984年]

日本はきわめてアブノーマルな国である。国家も国民も、ともにそうである。日本のあらゆる社会構造と人間関係は、力のある者とない者、金のある者とない者という非常に単純な図式によって支配されている。(略)飼いならされ支配されてやっと安心するという日本人の天性が結果的に「経済大国」を成し遂げただけであり、残酷な戦争をも引き起こしたのだと思う。

田麗玉『悲しい日本人』1994年]

日本では昔から権力に拒逆することは、共同体の秩序を紊乱するようにすると

 

中国や韓国の法治がどうもおかしいと、最近気がついた。あまりに恣意(しい)的で放埓(ほうらつ)である。粗放というべきかもしれない。そこで明国14~17世紀の『大明律』をひもといてみる。名前の偉そうさに騙(だま)されてはいけない。

大明律刑律闘殴条に、「人の一歯および手足一指を折り、人の一目をつぶし、人の耳鼻をえぐり、人骨を破り、銅鉄汁(銅鉄の溶けた液体のこと)で人を傷つけるがごとき者は杖(つえ)(棍棒(こんぼう)のこと)で一百。汚物をもって人の口鼻内にそそぐ者、またかくのごとし」とある。

私闘したものは百叩(たた)きということだが、最後のところがヘンだ。人の顔にヘドでも吐きかけるのだろうか。

李朝のほうは18世紀ともなると一族同士の墓所争いがひどくなる。朝鮮の墓所は山だから即山争いである。敵一族の墓に汚物を投げこめば百叩き、棺を燃やせば斬首だった。それにしてもシナ人の顔面を朝鮮人の墓面に置きかえるとは何なのか。

実に、彼らの歴史とはこのような古代の粗放性に彩られている。日本のような中世や近世はないのだ。日清戦争とその結果の下関条約で直接近代に押し流された。以来120年間。中国は近代化をする気がなく、韓国は近代化の根本である法治主義に失敗したことがますます明らかになりつつある。

近代にいたるまで中国の文明は現代芸術・技術であった。ところが以後は骨董(こっとう)の芸術品と化した。かつて朝貢とは中国にしかできない精巧な針とか、彩色衣料とかを周りの「蛮族」がもらいに行ったものである。人数分くれるので300とか500人とかで行く。これが財政を圧迫すると止める。するとすぐに略奪しに来る。

李朝にはそんな勇気はない。軍事力が違いすぎる。むしろ馬とか女とか援軍とかをシナに要求された。馬はしぶって分割払いして数を減らして誤魔化(ごまか)す。女は明時代には働き者の下女が人気だった。清時代になると女色を要求されたので、妓生(キーセン)を送って誤魔化した。

伝統として続く「濫赦の弊」

この誤魔化し・逃げ口上を漢文で「トウ塞」という。朝鮮の外交史はトウ塞の歴史だ。援軍を要求されると、倭寇が攻めてきて忙しいからいけないと誤魔化した。こういうのをシナと朝鮮の宗藩関係とかいうのである。手なずけとばかし合いの関係だ。

このような朝貢外交しか知らない中国が、西洋勢力の進出で半植民地状態に陥り、ついで軍閥割拠する戦乱の地となり、日本が進出してくると国共内戦がらみで三つ巴(どもえ)となり、共産軍が勝って社会主義国となり、西洋外交を知らない年月が延々と積み重ねられて100年を超えた。近代になって「蛮族」にあげられる物のなくなった中国は今、アジアインフラ投資銀行(AIIB)とか、中韓の自由貿易協定(FTA)などの朝貢外交に余念がない。だが、後者ではすでに中身が空っぽである。農産物や自動車などの主力商品が関税撤廃の対象外になっている。

現代の韓国では法治主義が崩壊し、李朝並みの濫囚・濫刑・濫赦(みだりな逮捕や刑罰・恩赦乱発)に戻りつつある。産経新聞社の加藤達也前ソウル支局長起訴やセウォル号船長の死刑求刑などがそれである。「濫赦の弊」は伝統としてずっと続いてきた。蓄財で逮捕された元大統領や左翼運動で死刑判決を受けた元学生などが平然と出獄し、豊かな老後を送ったり、死刑宣告を勲章に左翼議員として返り咲いたりするのはこのためである。蓋(けだ)し、われわれの海の対岸にいるのはこのような人々であり、別に驚くにはあたらない。

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