易姓革命

易姓革命

易姓革命について中国系日本人の石平氏が分かりやすく解説しているので紹介します。

易姓革命とは中国での王朝交替を言う。天帝の意志にが変わることによって王朝が交替すること。

中国では王朝が交替することを易姓革命と言った。易姓は王朝の支配者の姓がかわる(易る)こと、革命は天の神(天帝)の意志(命)がかわる(革る)ことを意味する。

殷(商)の紂王が悪徳の限りを尽くし、民を虐待したため、天の意志で周に交替したのがそのはじめであり、それ以後「革命」は中国では王朝の交替のことを意味していた。現在では revolution の訳語として使われている。なお、易姓革命の形式には禅譲と放伐の二つがあるとされている。春秋末期と戦国時代において、いわゆる「諸子百家」と呼ばれる思想家が輩出した。儒家、道家、墨家などの思想である。しかし紀元前206年から中国を支配した前漢王朝の時代、皇帝の政治権力によって「儒家の思想」だけが国家的イデオロギーに祭り上げられて、いわば「国教」としての儒教となった。それ以降の2千数百年間、「儒教思想」はほとんどの期間を通じて支配的地位を保ち、中国思想の中核となる。

 

 

儒教は、中国の「国教」として君臨したその長い歴史を通じて、皇帝の権力を後ろ盾として中国における支配的地位を得ていた。当然、儒教は皇帝に奉仕するべき存在であった。そのために儒教は皇帝の権力と権威を正当化するような思想と化してしまい、いわば「御用思想」としての性質を帯びるようになっていく。

政治権力を正当化するような性格を持っていたからこそ、儒教思想は漢王朝皇帝のメガネに叶って国家的イデオロギーとして採用されたのである。そして同じ理由によって、儒教は前漢王朝以後の中国歴代王朝でも重宝されつづけた

かくして、前漢王朝以来の中国思想史において、政治権力を正当化し、それを補完する役割を担うことが、儒教思想の最大の特徴となった。このような儒教思想が、中国思想の中核を占めてきたわけで中国思想の中核的な要素の一つはすなわち、「天命思想」と呼ばれる考えである。

儒教思想の世界観においては、自然万物・森羅万象の絶対的支配者は「天」というものである。それは自然界の「天空」であると同時に、キリスト教のいう「神」に相当する、唯一にして全知全能の神聖なる存在である。

森羅万象と同様、「天下」と呼ばれる人間世界も「天」によって支配されている。しかしその場合、「天」というのは沈黙の支配者であって、自らの意思を何も語らない。

では、「天」は一体どうやって人間世界を支配するのか。そこで出てくるのが、「天子」と呼ばれる皇帝の存在となる。「天」は自らの意思を直接、語りはしないが、人間の世界から誰かを自分の「子」として選び、「天子」であるこの人に支配権を委譲する。

そして「天子」を通して人間世界を支配するらしい。その際、「天」が人間世界の支配権を特定の人間に委譲することは、すなわち「天命」をこの人に下すことであり、「天子」に選ばれて天命を下された人間がすなわち皇帝となる。

委譲された支配権は、「天命」を下された皇帝本人が持つだけでなく、その子孫にも受け継がれていくこととなる。皇帝とその子孫たちの統治権は「天」から委譲されたものであるとされるので、その正当性はまさに神聖なる「天」によって保証されたものとなる。

人間世界の誰もが認めるべきものであって、人は誰もが、「天」の子である皇帝に服従しなければならない、という理屈になる。「天命思想」はまさにこのようにして、皇帝という権力者の権威と権力を正当化し、人々を従わせようとするのだ。

「天」が誰かを選んで天命を下し、支配権を譲ることができるなら、「天」は支配権の委譲を撤回することもできることになる。もし、「天」から支配権を譲られた皇帝とその子孫が、「天」の意思に背いて悪事を働いたり責務を放棄したりして天下を乱したら、「天」はいつでも自らの下した天命を撤収して、それを別の人に下す。つまり別の人間を「天子」として改めて選び、天下の支配権をこの人に譲るのである。

「天」が「天命」を今の皇帝から回収して別の人に下すことが、すなわち「革命」である。儒教の「天命思想」は、皇帝の政治権力を正当化する思想であると同時に、皇帝の政治権力の剝奪と権力の交代を正当化する思想でもある。

このようなイデオロギーの支配下では、王朝と皇帝の権力は「天命」によって保証されるが、同じ「天命」によって「易姓革命」の正当性もまた保証されることになるのである。

天命思想の下では、「皇帝による人民の絶対的な支配」が中国歴代王朝の絶対的政治原理となる一方で、皇帝の絶対的支配を打ち倒して新しい皇帝の支配権を確立する「易姓革命」もまた、伝統的な政治原理となった。この二つの政治原理が同時に働いた結果、社会的大動乱や内戦の周期的発生と、政治権力の残酷さが、国政治を彩る大きな特徴となっていったのである。

これはつまり、こういうことである。一人の皇帝が王朝を立てて支配体制を確立すると、神聖なる「天」によって「天命」が自分と自分の子孫に下されているとの論理から、皇帝は自分と自分の一族こそが天下の主人だと思ってしまう。そして天下万民を「私物化」してしまい、収奪と支配をほしいままにするのである。

その一方で、皇帝とその一族は、易姓革命の発生を何よりも恐れる。それゆえ、日々、国内のあらゆる不穏な動きに目を光らせ、危険分子と思う人々に容赦のない弾圧を加える。

「易姓革命」の原理においては、天下万民の誰もが反乱を起こして新たに天命を勝ち取る可能性があるわけだから、皇帝とその一族にとって、民衆は「支配・収奪の対象」であると同時に、常に監視して統制しておかなければならない「敵」でもあるのである。

かくして中国では、天下万民は支配・収奪・統制の対象となり、常に不平不満を持つ存在になる。それゆえ王朝の支配と収奪の度が過ぎて、人々の最低限の生存権が脅かされるようになると、人々のなかから必ず反骨の人が出てきて、自分こそが新たな「天命」を受けたと宣言して反乱を起こす。

そしてその反乱が成功すれば、反乱者は必ず前王朝の皇帝一族を根こそぎ殺してしまい、死屍累々の上に新しい王朝をつくり、前王朝の行なった支配と収奪と統制を繰り返していくのである。

だが、周期的な「易姓革命」が起きるたびに、中国という国は短くて十数年、長ければ百年以上の内戦状態に陥ってしまい、時には国民の半分以上がそのなかで命を失うことになる。

しかも、「易姓革命」の動乱と内戦が起きるたびに、今まで蓄積してきた社会の富と文化的財産が破壊し尽くされ、歴史が一度リセットされることになる。このように、中国の長い歴史において、天命思想と易姓革命から生まれたものは、支配と収奪と統制、そして周期的な動乱と戦争であった。このような歴史は天下万民にとって、苦難の連続以外の何ものでもなかった。

2017年10月24日に閉幕した中国共産党全国大会は、党の第19期中央委員会を選出し、その翌日の25日、中央委員会が第1回総会を開いて最高指導部メンバーである政治局常務委員を選出した。

だが、そのなかには、習近平総書記の後継者と思われる50代の人物が一人もいなかった。このことは、実は大きな意味を持つ。習近平政権以前の江沢民政権時代と胡錦濤政権時代、最高指導者は2期10年を務めたのち、次世代の後継者にバトンタッチされることとなっていた。

だが、習氏が五年後にこれを破って3期目に入った場合、さらにその5年後の党大会でも引退しない可能性さえ出てくるのである。習氏は2期10年どころか、4期20も権力の座にしがみついて、毛沢東に近い「終身独裁者」となっていくこともありうる、ということである。

習氏は、今回の党大会で誕生した新しい政治局に自分のかつての部下・同級生・幼なじみを大量に送り込み、党の指導部を自分の側近で固めた。そして今、「習家軍」(習家の兵隊)と呼ばれるそれらの側近幹部が中心となって、共産党党内で習氏のことを全知全能の偉大なる指導者として「神格化」する動きが広がっている。

幼稚園の園児までがテレビの前に座らされて習氏の演説を聞かされたり、年寄りが公園で習氏を讃える歌を歌ったりするような、まさに毛沢東時代の文化大革命期さながらの風景が再現されているのである。

このようにして、2017年10月の共産党大会の前後に、毛沢東時代晩期を特徴づける終身独裁・個人崇拝・側近政治などの悪しき伝統が一気に復活してしまい、中国共産党政権は40年前に先祖返りしたかのような様相を呈した。

かつて、毛沢東は27年間の治世において、実質上の「皇帝」としてふるまい、天下万民に対する絶対的な支配を行なった。今、習近平はまさに第2の毛沢東、すなわち中国の新しい「皇帝」になろうとしているかのごとくである。

中国共産党は習氏のことを「歴史的使命を背負う偉大なる人民の領袖」と持ち上げると同時に、彼の思想を「習近平思想」として党の規約に盛り込み、習氏を共産党の「教祖様」に祭り上げようとしている。



このようなやり方は、「天命思想」を持ち出して皇帝の絶対的権威と権力を正当化していった、かつての儒教思想のそれと何ら変わらない。

そして今、中国国内の官製メデイアの宣伝では、習近平氏が「懐の深い指導者」「慈悲の心に満ちた指導者」「高遠なる知恵を持つ指導者」「至誠大勇の指導者」として賛美されている。つまり中国共産党政権は、伝統の徳治主義に基づいて「徳のある人格者」としての習近平像を作り上げている最中なのである。あるいは、「徳のある偉大なる皇帝」の虚像が、まもなく完成するのかもしれない。

その一方で、新しい「皇帝」となった習氏は、「中華民族の偉大なる復興」というスローガンを掲げ、「大国外交」の推進によって中国を頂点とした新しい世界秩序の構築、すなわち「中華秩序」の再建を図ろうとしている。彼らがイメージしたこの「新しい中華秩序」においては、アジアとその周辺の国々は、経済的にも政治的にも中国の軍門に下って、中国を「覇主」として仰がなければならない。この点もまさに、儒教的「中華思想の世界観」そのものの現実化であり、古き悪しき中華思想の復活なのである。

21世紀初頭の今、中国では古色蒼然たる「皇帝」が再び登場し、天命思想・徳治主義・中華思想の3点セットの悪しき儒教思想の伝統も見事に復活してきている。これを見ていると、中国という国は本質的には永遠に変わらず、儒教思想の束縛から永遠に脱出できないことが、よくわかってくる。

同時に、同じアジアの国でありながら、われわれが生きるこの日本が、海の向こうの中国といかに大きく異なっているかも、よく見えてくるのである。

このような違いが生じた理由として、もちろん、さまざまな政治的、地理的要因も挙げられるだろう。だが、日本の先人たちが思想の面において、「脱中華」の努力を絶えることなく続けてきたことが、日中の違いを生じさせた主要な要因の1つとなっていることは、誰も否定できまい。「脱中華の日本思想史」の歩みがあったからこそ、今の日本は大陸の中華とは違って、素晴らしい伝統に立脚した、良き近代民主主義国家となっているのである。

現代中国と日本との落差と違いを決定づけた「脱中華の日本思想史」とは、一体どういうものか。飛鳥時代から明治までの日本思想史を「脱中華」という視点で捉え直すと、実にダイナミックで、知的刺激に満ちて興味深い、まさに大河のような連綿たる流れが浮かび上がってくるであろう。そして、「脱中華」に懸けた各々の日本人思想家たちの誇りや矜持は、現代を生きる日本人にも多くの知恵と勇気を与えてくれるはずである。


欧州の方々は「ヨーロッパ4000年の歴史」などとは言わない。

欧州の歴史で、誰もが知る「ローマ帝国」の歴史を、現在のイタリアやドイツが「ローマ帝国からずっと連続している」などとは言っていない。当たり前である。
「国家として連続していること」と「その場所で起こったこと」はまったく別物である。

中共支那は「王朝が違っていても、総て「中華民族」の王朝」との詭弁を弄しているが、「漢朝」以降の「漢民族」以外に蒙古族の元朝や満州族の清朝がシナの地を「統一」しており、そういう史実からは、後付けで範囲を広げた「中華民族」との虚偽を用いないと「歴史的に中国の固有の領土」も「中国4000年の歴史」も説明できないのである。

要するに、シナの地の歴史観では、異民族征服王朝であっても「天命を受けた」として「前王朝の正統なる後継者」と看做す歴史観があるということである。そして、シナの地の歴史観での「正統性の賞味期限」は、「徳の有無」にあるということで、科学的計測基準がない「徳」が、その「基準」になっているだから、事実とは無関係に「前王朝は極悪人」でなければ、現王朝の正統性は成り立たないとの構造なのである。

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