歴代天皇 26代継体天皇

歴代天皇 26代継体天皇

継体天皇とは、506年に武烈天皇が没したあと、武烈に子がなく、他に王統を継ぐべき皇子も存在しなかったため、重臣・大伴金村らに擁立され、越の国から迎えられて即位したとされる天皇である。応神天皇五世の孫を称していた継体は、武烈の姉である手白香皇女を妃とし、彼らの間に生まれたのが、その後の天皇家の始祖とされる欽明天皇である。

『記紀』は共に継体天皇を応神天皇の5世の子孫と記している。また、『日本書紀』はこれに加えて継体を11代垂仁天皇の女系の8世の子孫とも記している。近江国高嶋郷三尾野(現在の滋賀県高島市近辺)で誕生したが、幼い時に父の彦主人王を亡くしたため、母・振姫の故郷である越前国高向(たかむく、現在の福井県坂井市丸岡町高椋)で育てられ、「男大迹王」として5世紀末の越前地方(近江地方説もある)を統治していた。

『日本書紀』によれば、506年に武烈天皇が後嗣を定めずに崩御したため、大連・大伴金村、物部麁鹿火、大臣・巨勢男人ら有力豪族が協議し、まず丹波国にいた14代仲哀天皇の5世の孫である倭彦王(やまとひこおおきみ)を推戴しようとしたが、倭彦王は迎えの兵を見て恐れをなして山の中に隠れて行方不明となってしまった。

やむなく群臣達は越前にいた応神天皇の5世の孫の男大迹王を迎えようとしたものの、疑念を持った男大迹王は河内馬飼首荒籠(かわちのうまかいのおびとあらこ)を使いに出し、大連大臣らの本意に間違いのないことを確かめて即位を決意したとされる。翌年の507年、58歳にして河内国樟葉宮(くすばのみや)において即位し、武烈天皇の姉にあたる手白香皇女を皇后とした。

即位19年後の526年にして初めて大倭(後の大和国)に入り、都を定めた。翌年に百済から請われて救援の軍を九州北部に送ったものの、しかし新羅と通じた筑紫君・磐井によって反乱が起こり、その平定に苦心している。

対外関係としては、百済が上述のように新羅や高句麗からの脅威に対抗するためにたびたび倭国へ軍事支援を要請し、それに応じている。また、『書紀』によれば継体6年(513年)に百済から任那四県の割譲を願う使者が訪れたとある。倭国は大伴金村の意見によってこれを決定し、百済は返礼としてか翌年から梁より招いていた五経博士を遣わしている。

531年に皇子の勾大兄(安閑天皇)に譲位(記録上最初の譲位例)し、その即位と同日に崩御した。崩年に関しては『古事記』では継体の没年を527年としており、そうであれば都を立てた翌年に死去したことになる。『古事記』では没年齢は43歳、『日本書紀』では没年齢は82歳。

 

継体天皇の前の第25代武烈天皇は、妊婦の腹を割いたとか人を樋に流しそれを矛で刺して喜んだなどという異常な行動が記録されています。これは、跡を継がせる血統の近い者が途絶えてしまったため、武烈と継体の血筋があまりにも離れてしまうことになったが、その継体に王位を継がせるには前代が異常な人物であったとするしかなかったためだと言われています。

このような武烈の残虐非道ぶりは「日本書紀」にのみ書かれており「古事記」には一切出てきません。そのことからも、武烈のエピソードは真実ではないこと、逆に言うとそこまでして継体を跡継ぎにするしかなかった事情があった、ということが推測できます。

・記紀に第26代と伝える天皇。没年は527年、534年の説もある。応神(おうじん)(誉田(こんだ))天皇の5世孫とされ、名は男大迹(おおど)(『古事記』では袁本杼命(おおどのみこと))、またの名を彦太尊(ひこふとのみこと)という。6世紀初頭に越前(えちぜん)(福井県)あるいは近江(おうみ)国(滋賀県)から大和(やまと)(奈良県)の磐余宮(いわれのみや)に入って新しい王統(王朝)を築いた天皇として有名。『日本書紀』によれば、武烈(ぶれつ)(小泊瀬(おはつせ))天皇に継嗣(あとつぎ)がなかったので、大伴金村大連(おおとものかなむらのおおむらじ)が中心となって越前の三国(みくに)(福井県坂井(さかい)市。『古事記』では近淡海国(ちかつおうみのくに))から迎え入れたとある。この天皇の出自については、遠く越前から入ってきたこと、大和に入るまで20年を経ていること、応神5世孫とされているがその間の系譜が明示されていないことから、地方の一豪族で、武烈亡きあとの大和王権の混乱に乗じて皇位を簒奪(さんだつ)した新王朝の始祖とする見解が有力である。
しかし、記紀編纂(へんさん)よりも古くさかのぼる『上宮記(じょうぐうき)』には、天皇の父系・母系の詳細な系譜が明示されていること、仁賢(にんけん)天皇の女(むすめ)手白香(たしらか)皇女を皇后としていること、継体を受け入れた大和王権自体はなんら機構的にも政策的にも質的転換をみせていないことから、継体を大和王権内部に位置した王族と考える見解もある。[小林敏男]
『黛弘道著「継体天皇の系譜について」(『論集日本歴史1 大和政権』所収・1973・有精堂出版)』

 

皇統一覧(歴代天皇)に戻る

天皇カテゴリの最新記事