歴代天皇 29代欽明天皇

歴代天皇 29代欽明天皇

欽明天皇は、継体天皇と皇后手白香皇女(たしらかのひめみこ)(509年~571年)

当時はすでにヤマト政権の勢力が大きくなっており、政治を支える役職につく者も多数。

なかでも、大伴金村(おおとものかなむら)と物部尾輿(もののべのおこし)、蘇我稲目(そがのいなめ)の三者は強大な力を持ち、拮抗していました。物部尾輿が「大伴金村が百済へ任那4県割譲を許したため、新羅の恨みを買った」と糾弾。これにより大伴金村は失脚し、蘇我氏物部氏の二大勢力が政権を握るようになり両者は対立を深めていきます。

即位の事情については、継体天皇の死の直前、もしくは直後即位し、安閑(あんかん)・宣化(せんか)両天皇の「王朝」と並立したという説がある。この欽明朝において特筆すべきは対朝鮮問題である。この時期、新羅(しらぎ)はその国力の充実を背景に「任那(みまな)」諸国(加耶(かや))の有力国、南加羅(から)(金官(きんかん)国)の併合(532)、安羅(あら)(咸安(かんあん))、大加耶(おおかや)(高霊(こうれい))の併合(562)を推し進め、日本の権益ともかかわっていた「任那」諸国を完全に統属。この新羅に脅威を感じた日本と百済(くだら)とは同盟を強化、百済の聖明(せいめい)王からの「仏教公伝」、五経博士の来朝などは、こうした同盟関係を背景としている。一方、国内的には、蘇我(そが)氏が台頭してくる時期で、蘇我稲目(いなめ)は大臣(おおおみ)として国政に参加、女(むすめ)の堅塩媛(きたしひめ)、小姉君(おあねぎみ)を欽明天皇の妃として納(い)れ、外戚(がいせき)の地位を築き、開明的な政策を推進した。欽明陵は、檜隈(ひのくま)(奈良県高市(たかいち)郡明日香(あすか)村)坂合(さかあい)陵とされているが、全長318メートルの巨大な前方後円墳見瀬(みせ)丸山古墳(奈良県橿原(かしはら)市)に比定する説も強い。

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[小林敏男]
『末松保和著『任那興亡史』(1971・吉川弘文館) ▽山尾幸久著『日本国家の形成』(岩波新書)』

 

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