歴代天皇5・考昭天皇

歴代天皇5・考昭天皇

考昭天皇(こうしょうてんのう、懿徳天皇5年 – 孝昭天皇83年8月5日)

日本の第5代天皇(在位:孝昭天皇元年1月9日 – 孝昭天皇83年8月5日)

 

『日本書紀』では、現在の奈良県御所市に掖上池心宮(わきがみのいけこころのみや)に都をかまえたとありますが、『古事記』では葛城の掖上宮にましましたと記されている。

父は第4代懿徳天皇。母の記載は記紀で異なり、『日本書紀』では息石耳命の娘の天豊津媛命(あまとよつひめのみこと)、『古事記』では師木県主の祖の賦登麻和訶比売命(ふとまわかひめ)とする。

兄弟として、同母弟に武石彦奇友背命(多芸志比古命)がいる。

妻子

皇后:世襲足媛(よそたらしひめ、余曽多本毘売命)

『日本書紀』本文・『古事記』による。尾張連祖の瀛津世襲(奥津余曽)の妹。

ただし、同書第1の一書では磯城県主葉江の娘の渟名城津媛、第2の一書では倭国豊秋狭太媛の女の大井媛とする[2]

第一皇子天足彦国押人命(あめたらしひこくにおしひとのみこと、天押帯日子命) – 和珥臣・春日氏・小野氏等諸氏族の祖。

第二皇子:日本足彦国押人尊(やまとたらしひこくにおしひとのみこと、大倭帯日子国押人命) – 第6代孝安天皇。

子である天足彦国押人命は古事記においては和珥氏のみならず春日氏・小野氏・大宅氏・粟田氏・柿本氏など多くの氏族の祖となっている。特に和珥氏・春日氏の本拠地は現在の天理市で邪馬台国の近くである。孝安天皇は子を邪馬台国付近に進出、定着させて勢力を拡大したと思われる。天理市は纏向遺跡の北にあり、纏向を挟み撃ちにする形にもなっている。皇居がある掖上の近くには神武・綏靖・安寧の后の祖神である事代主神を祀る鴨都波神社があり、鴨氏とのつながりが見える。また、后である世襲足媛の系譜から尾張氏とのつながりも想定される。

 

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