歴代天皇17 履中天皇

歴代天皇17 履中天皇

第 17代に数えられる天皇。仁徳天皇の第1皇子。母は皇后イワノヒメノミコト。名はオオエノイザホワケノミコト。

『日本書紀』によれば,仁徳天皇の死後皇位を望む同母弟の住吉仲皇子に難波宮を囲まれたが,平群木菟 (へぐりのつく) らと河内に逃れ,その後大和の石上神宮に入って,弟の瑞歯別王 (みずはわけのみこ) (→反正天皇 ) に仲皇子を殺させ,磐余雅桜宮 (いわれのわかさくらのみや) に即位した。仁徳天皇の娘草香幡梭 (くさかのはたひ) 皇女を皇后とした。陵墓は大阪府堺市西区の百舌鳥耳原南陵 (もずのみみはらのみなみのみささぎ) 。

履中天皇は各地に国司を置き、官事を記録させてひろくその意向を伝えた。また、諸国の記録を残すために国史(くにひと)を置き、蔵職(くらのつかさ)を設立し、蔵部(くらひとべ)を置くことで、次第に複雑化していく国家財政を安定させようとした。また、忠臣の平群木菟宿禰、蘇我満智宿禰や、物部氏、葛城氏の各氏族にも国事を任せたとされる。

ミサンザイ古墳

 

鳥屋ミサンザイ古墳

 

履中天皇陵、石津ヶ丘古墳・百舌鳥陵山古墳などの呼び名を持ち、宮内庁が管理している、墳丘の全長約365メートルの前方後円墳(3番目に大きい)

主体部の構造や副葬品などはわかっていないが、墳丘は3段築成で、葺石と埴輪があり、2重の周濠が見つかっている。

4番目に大きい、造山古墳とはほぼ同時期で、同形式とみられ、大和王権と吉備とのつながりが注目される。

[注意]履中天皇は仁徳天皇の第一皇子で、仁徳天皇崩御後に即位した天皇であるが、ミサンザイ古墳は仁徳天皇の陵墓に比定されている大仙陵古墳よりも古い時代に造築されたと考えられている。

「履中天皇陵をそのまま履中天皇の墓とするのは難しい」と堺市世界文化遺産推進室の白神典之主幹。さらに墳丘1段目がほとんど水面に隠れており、水面下の分も合わせると全長は400メートルにもなる

 

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