歴代天皇52嵯峨天皇

歴代天皇52嵯峨天皇

桓武(かんむ)天皇の皇子。母は皇后藤原乙牟漏(おとむろ)。延暦(えんりゃく)5年9月7日誕生。806年(大同1)同母兄平城(へいぜい)天皇の皇太弟にたてられ、809年天皇の譲りを受けて即位。

翌810年(弘仁1)、上皇が平城還都の議をおこしたことからこれと対立、兵を発して上皇方を制圧した。15年の治世ののち、823年(弘仁14)異母弟の淳和(じゅんな)天皇に譲位、その後も仁明(にんみょう)天皇(嵯峨皇子)の842年(承和9)に没するまで、上皇として家父長的権威をもって朝廷を抑え、古代史上まれな政治的安定期を出現させた。

『弘仁格式(こうにんきゃくしき)』『内裏式(だいりしき)』などの法典が編纂(へんさん)され、蔵人所(くろうどどころ)など宮廷の機構が整備され、地方政治も意欲的に行われた。天皇自ら漢詩文、書道をよくし、中国風の文化が栄えた。空海、橘逸勢(たちばなのはやなり)とともに三筆に数えられる。また皇子女の多くに源(みなもと)の姓を与えて臣籍に降下させ、賜姓源氏の例を開いた。御陵は京都市右京区の嵯峨山上陵。

【嵯峨院】より
…大覚寺の前身。嵯峨天皇は唐風文化の興隆につとめたが,みずからは風流を好み,晩年を嵯峨院で送った。嵯峨院の名は在位中の文献に見え,帝位にあるときに離宮として設営され,文人たちを召して詩賦を催したりしている。…

【三筆】より
…日本の書道史上の3人の能筆家。平安初期の嵯峨天皇,空海,橘逸勢(はやなり)の3人を指す。3人を特に三筆と称するようになったのがいつごろか明らかでないが,そう古くにはさかのぼらない。…

【書】より
…書も唐風から和風への萌芽を見せ始めて,王羲之を主流とした伝統的書風の中に温雅な風韻を持ちつつあった。その頂点に三筆(嵯峨天皇,空海,橘逸勢(はやなり))が位置する。空海はその代表で,入唐以前の24歳のときの筆になる《聾瞽指帰(ろうこしいき)》は,王羲之そのままの筆法を踏襲しながらも,若さと日本的な柔和な筆触が表れており,さらに帰朝後の書状《風信帖》になると,唐風を脱した日本人としての自覚的書風を創り始めている。…

【朱雀院】より
…平安京内では邸宅の少ない右京の四条以北で,朱雀大路に沿って西に位置し,8町という広大な面積を占めていた。創始は嵯峨天皇が譲位後の御所として造営したものと考えられる。文献上の初見は836年(承和3)で,仁明天皇が京内の空閑地200余町を生母,橘嘉智子の朱雀院に寄せている。…

皇統一覧(歴代天皇)に戻る

日本最大級のお墓ポータルサイト「いいお墓」

天皇カテゴリの最新記事