歴代天皇 40代天武天皇

歴代天皇 40代天武天皇

686年10月1日(朱鳥元年9月9日))は、7世紀後半の日本の第40代天皇(在位:673年3月20日(天武天皇2年2月27日) – 686年10月1日(朱鳥元年9月9日))。

天武天皇  

  1. 天皇との親疎で身分制度をつくる。
  2. 天皇を神格化する。
  3. 天皇自らの正当性を証明するための歴史書を編纂する。

 

  • 天智天皇7年(668年) 天智天皇の皇太弟に立てられたとされる(否定する説もある)。
  • 天智天皇10年(671年) 重病の天智天皇に後事を託されるも固辞し、出家して吉野に移る。
  • 弘文天皇元年(672年) 壬申の乱で天智天皇の息子である大友皇子(弘文天皇)を破る。
  • 弘文天皇2年(673年) 飛鳥浄御原宮にて即位する。
  • 天武天皇4年(675年) 部曲を廃止する。占星台を設置する。
  • 天武天皇5年(676年) 陰陽寮を設置する。
  • 天武天皇7年(678年) 官人の勤務評定や官位の昇進に関して考選法を定める。
  • 天武天皇8年(679年) 吉野に行幸する。皇后、草壁皇子らに皇位継承争いを起こさないよう誓わせる(吉野の盟約)。
  • 天武天皇9年(680年) 皇后(後の持統天皇)の病気平癒のため薬師寺の建立を命じる。
  • 天武天皇10年(681年) 飛鳥浄御原宮律令の制定を命じる。草壁皇子を皇太子に立てる。
  • 天武天皇11年(682年) 匍匐礼を廃し、立礼にすることを命じる。
  • 天武天皇12年(683年) 富本銭の発行。
  • 天武天皇13年(684年) 八色の姓を定める。
  • 天武天皇14年(685年) 冠位四十八階を制定する。
  • 朱鳥元年(686年) 崩御。

壬申の乱に勝利した天武天皇は、天智天皇が宮を定めた近江大津宮に足を向けることなく、飛鳥の古い京に帰還した。天武天皇2年(673年)閏6月に来着した耽羅の使者に対して、8月25日に、即位祝賀の使者は受けるが、前天皇への弔喪使は受けないと詔した。天武天皇は壬申の乱によって「新たに天下を平けて、初めて即位」したと告げ、天智天皇の後継者というより、新しい王統の創始者として自らを位置づけようとしました。

天皇はもと天武というただ一人の偉大な君主のために用いられた尊称で、彼のカリスマを継承するために、天皇を君主の号とすることが後に定められた。

天武天皇は、一人の大臣も置かず、法官、兵政官などを直属させて自ら政務をみた。要職に皇族をつけたのが特徴で、これを皇親政治。

冠位四十八階

諸王十二階 服色(685年) 服色(690年)
1 明大壱 朱花
2 明広壱
3 明大弐
4 明広弐
5 浄大壱 黒紫
6 浄広壱
7 浄大弐
8 浄広弐
9 浄大参 赤紫
10 浄広参
11 浄大肆
12 浄広肆
諸臣四十八階 服色(685年) 服色(690年)
1 正大壱 深紫 赤紫
2 正広壱
3 正大弐
4 正広弐
5 正大参
6 正広参
7 正大肆
8 正広肆
9 直大壱 浅紫
10 直広壱
11 直大弐
12 直広弐
13 直大参
14 直広参
15 直大肆
16 直広肆
17 勤大壱 深緑 深緑
18 勤広壱
19 勤大弐
20 勤広弐
21 勤大参
22 勤広参
23 勤大肆
24 勤広肆
25 務大壱 浅緑 浅緑
26 務広壱
27 務大弐
28 務広弐
29 務大参
30 務広参
31 務大肆
32 務広肆
33 追大壱 深蒲萄 深縹
34 追広壱
35 追大弐
36 追広弐
37 追大参
38 追広参
39 追大肆
40 追広肆
41 進大壱 浅蒲萄 浅縹
42 進広壱
43 進大弐
44 進広弐
45 進大参
46 進広参
47 進大肆
48 進広肆

天武天皇14年(685年)1月、冠位二十六階を改訂し、冠位四十八階が制定された。前年10月に制定された八色の姓と関連があると言われる。史料が乏しく、二十六階との対応関係は定かではない。また同時に、諸王(親王と王の総称)を諸臣と分離して別の冠位(十二階)を与え、諸臣の上位においた。明・浄などの冠位の名称については道徳観念や徳目を表したものなどの説がある。大宝令で位階制が制定されるまで存続した。なお、明位を授けた実例はない。

同年6月には各位の朝服の色を定め、浄位以上は朱花、正位は深紫、直位は浅紫、勤位は深緑、務位は浅緑、追位は深葡萄、進位は浅葡萄とした。持統天皇の即位した持統天皇4年(690年)4月、朝服の色が改められ、浄位以下、上から黒紫、赤紫、緋、緑、縹とされた。

天武天皇は、豪族・寺社の土地と人民に対する私的支配を否定した上で、諸豪族を官人秩序に組み込み、国家の支配を貫徹しようとする政策をとった

天武天皇4年(675年)2月15日に、天智天皇3年(664年)から諸氏に認められていた部曲と、皇族・臣下・寺院に認められていた山沢、島浦、林野、池を取り上げるという詔を下した。続いて、有力者が私的に支配を及ぼすのを否定して、官位官職や功績に応じて個人に封戸(食封)を与える形式に切り替えた

天武天皇は壬申の乱の勝利後しばらく美濃にとどまり、9月になって岡本宮(飛鳥岡本宮)に入り、この年に新たに宮室を建ててそこに移り住んだ。飛鳥岡本宮は舒明天皇・斉明天皇の宮殿で、近江に都が移ってからも維持されていたのである。天武天皇の宮は死の2か月前、朱鳥元年(685年)7月20日に飛鳥浄御原宮と名付けられた。考古学者がいう飛鳥宮(伝承飛鳥板葺宮)。

 

律令では、その支配を末端までいきわたらせるために、全国民の戸籍を登録し、課役や徴発、良民・賤民といった身分の掌握などの基本台帳としました。
戸籍に登録となった公民には、その身分に相当した口分田が与えられ、最低限の生活は保障されたことになりますが、実際これは建前と言っても良く、その分かえって重い祖税を納める義務を有することになりました。
ここでは、租税の内訳をご紹介してみます。

大宝律令

<国民に課せられた租税>

・租(そ)・・・耕作面積に応じて一律に賦課される。収穫の約3%の稲を納める
・公出挙(くすいこ)・・・春夏の二回、貸し出した稲を、収穫後5割の利息を付けて徴収
・義倉(ぎそう)・・・備蓄として一定量の粟を徴収
・調(ちょう)・・・繊維製品、染料、塩、紙、食料品などの、各国の特産物を人頭税として納める
・庸(よう)・・・都に登って政府の命による労役の代納物として、布、綿、米、塩などを納める
・贄(にえ)・・・魚介類、海藻などを納める
・雑徭(ぞうよう)・・・一人につき年間60日以内、国内の土木工事や役所の雑用などに使役される

 

 

 天武系の天皇は称徳天皇を最後に断絶する。

 

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