歴代天皇74鳥羽天皇

歴代天皇74鳥羽天皇

在位1107-23。康和5年1月16日生まれ。堀河天皇の第1皇子。母は藤原苡子(いし)。嘉承(かじょう)2年父の死により5歳で即位。祖父白河法皇の院政下にあり,譲位後もつづいた。大治(だいじ)4年白河法皇の没後院政をとり,崇徳(すとく)・近衛・後白河の3天皇28年におよんだ。

生後間もなく母・苡子が没し、祖父の白河法皇の下に引き取られて養育された。誕生から7ヶ月で立太子され、父・堀河天皇の死後、5歳で即位する。

幼い鳥羽天皇は政務を執る事ができず、また当時の摂関の藤原忠実は立場が弱く白河法皇の風下にあり、実際の政務は白河法皇が執った。永久5年(1117年)、白河法皇の養女である藤原璋子(待賢門院)が入内、翌年には中宮となり5男2女を儲ける。

保安4年(1123年)1月23日、第一皇子・崇徳天皇に譲位、その後も実権は白河法皇が握り続けた。父親の堀河天皇の在位中は、摂関家や天皇が実権を全て、あるいはある程度は握っていたが、このように鳥羽天皇の治世において白河院政が本格化した。

白河法皇崩御の後、大治4年(1129年)より院政を敷く。白河法皇の勅勘を受けて宇治に蟄居していた前関白・藤原忠実を天承元年(1131年)に呼び戻し、娘の泰子(高陽院)を入内させ、上皇の妃としては異例の皇后とした。

また、白河法皇の側近であった藤原長実・家保兄弟らを排除して院の要職を自己の側近で固める。

有力な院司として、藤原顕頼や藤原家成がいる。また伊勢平氏の平忠盛の内昇殿をゆるし、政権に近づけた。さらに白河法皇の後ろ盾を失った待賢門院璋子にかわり、長承2年(1133年)頃より藤原得子(美福門院)を寵愛した。

永治元年(1141年)、23歳の崇徳天皇を譲位させ、得子所生の皇子・体仁親王(近衛天皇)を3歳で即位させた。康治元年(1142年)に東大寺戒壇院で受戒し法皇となる。

久寿2年(1155年)に近衛天皇が早世すると、第四皇子で崇徳上皇の同母弟である雅仁親王(後白河天皇)を即位させた。これにより崇徳上皇が院政を敷く可能性は失われ、崩御の直後に保元の乱が勃発する原因を作った。

父・堀河天皇と並ぶ笛の名人として知られ、譲位後に崇徳天皇が朝覲行幸に訪れた際に自ら笛を演奏して歓待している(朝覲行幸では子である天皇が父である院に対する孝養の一環として楽器を演奏するのが通例であった)。また、催馬楽や朗詠にも優れ、天永3年(1112年)の白河法皇の60歳の御賀の際には自ら催馬楽を披露している。

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