アレクサンドロス大王 ペルシャ帝国への挑戦

アレクサンドロス大王 ペルシャ帝国への挑戦

ドキュメンタリー 文明の道 アレクサンドロス大王 ペルシャ帝国への挑戦

 

約2300年前、ギリシャ軍を率いた二十歳のアレクサンドロスは強敵ペルシャを倒し、ギリシャからエジプト、中東、インドにおよぶ空前の世界帝国を築き上げました。彼は征服する一方で敵の長所を取り入れ、異なる文明との融合を計りました。第1集はユーラシア大陸を舞台に、大遠征を通して文明の交流とシルクロードの礎となる交易を図り、多民族の共存共栄をめざした新たなアレクサンドロス像を描きます。

 

エジプトの地で将兵に充分な休養と補給を施したアレクサンドロスはペルシア王国への遠征を再開する。

 

ペルシア王国の滅亡

紀元前331年、アレクサンドロス軍47,000は、チグリス川上流のガウガメラで20万とも30万ともいわれたダレイオス3世指揮下のペルシア軍を破った(ガウガメラの戦い)。ダレイオスがカスピ海東岸に逃れると、ペルシャ王国はもはや風前の灯火となった。

ペルシャ王国の中枢に乱入したマケドニア軍は、バビロンやスーサの主要都市を略奪した。スーサからペルセポリスに向かう途中、ウクシオンという部族の居住する地位を通る時に貢物を要求されたので、ウクシオンの戦いが生じ、これを破った。その後ペルシス門の戦いでアリオバルザネスの伏兵を破ると、ペルセポリスに入城した。ペルセポリスでは一般民衆に対しても凄惨な虐殺と強姦が繰り広げられたうえ徹底的に破壊して焼き払った。

ペルセポリスの徹底した破壊は、ペルシア戦争時にペルシアがアテナイのアクロポリスを焼き払ったことへの復讐の意味もあった。ペルシアの中枢を占領した後も、アレクサンドロス軍はダレイオスを追って進軍を続けた。

翌年、ダレイオス3世が王族で側近であったベッソスによって暗殺されると、アレクサンドロスはダレイオスの遺骸を丁重に葬った。ダレイオスの死後も、ベッソスはペルシア国王アルタクセルクセスを自称して抗戦を続けたため、アレクサンドロスはベッソスの不義不忠を糾弾してこれを攻めた。ベッソスは、スピタメネスとオクシュアルテスに捕えられた後アレクサンドロスに引き渡され、エクバタナで公開処刑された。

 

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