マッカーシーの思想取り締まり

マッカーシーの思想取り締まり

マッカーシー恐怖の思想取り締まり

アメリカ合衆国では第一次世界大戦が終結した後、十月革命を経たロシアにソビエト連邦が誕生した後、ボリシェヴィキ、アナーキズムに対する警戒心が高まった。「狂騒の20年代」とも呼ばれた1920年代のアメリカ合衆国では、無実のイタリア系移民のアナーキストを当局が処刑したサッコ・ヴァンゼッティ事件が発生した。

ファシスタ・イタリア、ナチス・ドイツなどファシズム国家がヨーロッパに抬頭した1930年代から1940年代初めになると反ファシストを旗印に掲げるアメリカ共産党が労働運動に浸透し、小規模ながら一定の支持を獲得していた。1932年のボーナスアーミーに対するように、これらの社会主義、共産主義運動は政府の監視を受けていたが、第二次世界大戦中は連合国の一国として同盟関係にあったソビエト連邦との協調が優先され表立った弾圧は行われなかった。

ファシスタ・イタリア、ナチス・ドイツなどファシズム国家がヨーロッパに抬頭した1930年代から1940年代初めになると反ファシストを旗印に掲げるアメリカ共産党が労働運動に浸透し、小規模ながら一定の支持を獲得していた。1932年のボーナスアーミーに対するように、これらの社会主義、共産主義運動は政府の監視を受けていたが、第二次世界大戦中は連合国の一国として同盟関係にあったソビエト連邦との協調が優先され表立った弾圧は行われなかった。

ファシスタ・イタリア、ナチス・ドイツなどファシズム国家がヨーロッパに抬頭した1930年代から1940年代初めになると反ファシストを旗印に掲げるアメリカ共産党が労働運動に浸透し、小規模ながら一定の支持を獲得していた。1932年のボーナスアーミーに対するように、これらの社会主義、共産主義運動は政府の監視を受けていたが、第二次世界大戦中は連合国の一国として同盟関係にあったソビエト連邦との協調が優先され表立った弾圧は行われなかった。

1947年には非米活動委員会でハリウッドにおけるアメリカ共産党の活動が調べられた。チャーリー・チャップリン、ジョン・ヒューストン、ウィリアム・ワイラーなども対象となり、委員会への召喚や証言を拒否した10人の映画産業関係者(ハリウッド・テン)は議会侮辱罪で訴追され有罪判決を受け、業界から追放された(ハリウッド・ブラックリスト)。グレゴリー・ペック、ジュディ・ガーランド、ヘンリー・フォンダ、ハンフリー・ボガート、ダニー・ケイ、カーク・ダグラス、バート・ランカスター、ベニー・グッドマン(バンド・リーダー)、キャサリン・ヘプバーン、フランク・シナトラなどが反対運動を行った。グレゴリー・ペックは、リベラルの代表格だった。一方で、政治家のリチャード・ニクソンや映画業界人のロナルド・レーガン、ウォルト・ディズニー、ゲイリー・クーパー、ロバート・テイラー、エリア・カザンらは告発者として協力した。

アメリカ対日協議会の発足した1948年には、国務省職員のアルジャー・ヒスが、アメリカ共産党員でソ連のGRUのスパイであったウィテカー・チャンバーズからヒス自身もスパイであったと告発を受けた。ヒスは非米活動委員会で以前にスパイ行為を否定していたため偽証罪で訴追され1950年に有罪判決を受けた。

ソ連は大戦中からアメリカ国内に諜報網を構築しており、原爆開発の情報などを入手していた。同1950年にはドイツ出身のイギリス人でありマンハッタン計画に参加していた物理学者クラウス・フックスやジュリアス・ローゼンバーグとエセル・グリーングラス・ローゼンバーグの夫妻によるスパイ行為も発覚した(ローゼンバーグ事件)。

「マッカーシズム」の名祖となった共和党のジョセフ・マッカーシー上院議員。
ウィスコンシン州選出の共和党上院議員であったマッカーシーは、1950年2月9日のリンカーン記念日にウェスト・ヴァージニア州ウィーリングの共和党女性クラブにおける講演において、国務省にいる共産主義者のリストを持っていると述べ、「国務省に所属し今もなお勤務し政策を形成している250人の共産党党員のリストをここに持っている」と発言した。この発言はメディアの関心を集めた。「マッカーシズム」という言葉がはじめて用いられたのは『ワシントン・ポスト』の1950年3月29日付の風刺漫画においてである。

これをきっかけとして、アメリカ国内の様々な組織において共産主義者の摘発が行われた。議会において中心となったのは、1938年にアメリカ合衆国下院で設立された非米活動委員会である。

マッカーシー上院議員はその告発対象をアメリカ陸軍やマスコミ関係者、ハリウッドの映画俳優などアメリカ映画関係者や学者にまで広げた。マッカーシーやその右腕となった当時の若手弁護士だったロイ・コーンなどによる「共産主義者リスト」の提出に代表される様な、様々な偽証や事実の歪曲や、自白や協力者の告発、密告の強要を強いた。ロイ・コーンは後に第45代大統領となるドナルド・トランプの弁護士になったり、弁護士資格を失ったりしている。

 

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マッカーシズムを批判したジャーナリスト、エドワード・R・マロー。
マッカーシズムは共和党だけでなく、民主党の一部の議員からも支持を集めていた。

後の1961年に大統領に就任する民主党上院議員ジョン・F・ケネディもマッカーシーの支持者であり、後にマッカーシーに対する問責決議案が提出された際には入院を理由として投票を棄権している。

マッカーシー上院議員が、告発の対象をアメリカ軍内部にまで広げ、軍幹部が問題に及び腰であると批判したことは、軍からの強い反発を招いた。1954年3月9日には、ジャーナリストのエドワード・R・マローが、自身がホストを務めるドキュメンタリー番組『See It Now』の特別番組内で、マッカーシー批判を行ったことも、マッカーシーへの批判が浮上するきっかけとなった。

1954年8月24日に共産党統制法が成立し、アメリカ共産党が非合法化される。フォーク歌手のウディ・ガスリーやピート・シーガーは、アメリカ共産党の党員だった。黒人運動家のデュボイスは亡くなる直前に共産党に入党した。

1954年12月2日に上院は賛成67、反対22で、ジョセフ・マッカーシーが「上院に不名誉と不評判をもたらすよう行動した」として、譴責決議を可決した。リベラルとの誤解もあるジョン・F・ケネディは、譴責決議に強く反対していた。弟のロバート・ケネディもマッカーシーと親しかった。

ハリウッド・ブラックリスト

ハリウッド・ブラックリスト (Hollywood Blacklist) は、1940年代後半から1950年代中ごろ、マッカーシズムによる赤狩り旋風が吹き荒れる中、その中心的機関であった下院非米活動委員会(HUAC)が取調べを行なうため、ハリウッドを中心とする娯楽産業で活躍していた映画監督、脚本家や映画俳優などの芸能人の中で人生のある時期に共産党と関連があったとして列挙した人物のことで、そのうち召還や証言を拒否して議会侮辱罪で有罪判決を受けた主要な10人をハリウッド・テン(Hollywood Ten) と呼ばれた。

大衆が注目するハリウッドのスターを巻き込んでの証言や抗議運動があり、マッカーシズム時代に最もセンセーショナルで焦点となる事件であるとともに、列挙された人物は同産業で働くことを拒否され、思想信条差別の一大事件ともなった。

ハリウッド・ブラックリストの始まりは1930年代に遡る。この時期、共産主義はアメリカの理想主義の若者の間で人気のある思想であった。

しかしその認識は第二次世界大戦の終わり頃には大きく変化してゆく。ソヴィエト連邦が戦時中に東欧・中欧を厳しく弾圧したため、多くのアメリカ国民にとって共産主義は敵と見なされてゆく。1947年の10月、共産主義者との疑いをかけられた人々は破壊分子と見なされ、映画産業界で働く人物のうちの何人かが、ハリウッドの労働組合への共産主義の影響を調査していた非米活動委員会によって呼び出された。これらの脚本家・俳優・映画監督はアメリカ共産党の党員だと疑いをかけられたり、自分自身で認めていた。バッド・シュールバーグやエリア・カザンは、愛国心もしくは従わなかった場合の恐怖から、証人となった。

召喚状が発せられた10人は、アメリカ合衆国憲法修正第1条で保障された基本的人権を根拠に、証言したり召喚されたりするのを拒んだ。ハリウッド・テンと呼ばれるこれら10人は1948年に議会侮辱罪で有罪判決を受け、最高裁に上訴したものの成功せず、1950年に半年ないし1年の実刑を受けた。エドワード・ドミトリクは収監後証言拒否の姿勢を翻して自らや仲間について証言を行い、早期に釈放された。グレゴリー・ペックヘンリー・フォンダバート・ランカスター(反戦主義者)らは、ハリウッド・テンに対する弾圧に断固として反対した。一方、リチャード・ニクソンロナルド・レーガンウォルト・ディズニーゲイリー・クーパーロバート・テイラーエリア・カザンらは赤狩りに協力した。

ハリウッド・テンは、共産主義者である、また関連があるかどうかを明らかにするため、委員会がいくつかの質問を行ったがそれを拒んだため、議会侮辱罪により出頭を命じられた。彼らが答えるのを拒んだ質問の中には「あなたは全米脚本家協会のメンバーですか?」「現在また過去において、アメリカ共産党のメンバーでしたか?」などがあった。しかし当時、共産党員であることは嫌われる原因ではあったにしろ、法的には何ら違法ではなかった。他の人々は弁護士の勧めにより、証言を拒否するのではなくアメリカ憲法に基づく範囲で答えることにより、罪に問われることはなかった。

このプレッシャーに呼応して、1947年11月17日、全米俳優組合は役員に対して共産主義者ではないということを誓約させた。

さらに1947年11月25日、ニューヨークのウォルドルフ=アストリア・ホテルで映画業界の重役たちの会合があり、MPAAの代表のエリック・ジョンストンはプレスに対し現在では「ウォルドルフ・ステイトメント」と呼ばれる声明を出した。

この声明によると、ハリウッド・テンは馘首もしくは停職処分となり、彼らが無罪と見なされるか、嫌疑が晴らされ、また彼らが共産主義者ではないと自身で誓わない限り再雇用されることはないというものであった。

この声明により、ハリウッド・テンと呼ばれる10人は以後、かなりの長期間アメリカの映画・テレビ業界で働くことができなくなった。1952年、全米俳優組合は映画スタジオに対し、誰であってもアメリカ連邦議会で自身の潔白を証明できなかった人物の名前をスクリーンから削除できる権威を与えた。ブラックリストに載せられた人物の中には、偽名や友人の名前を使って仕事をする者もいて、『ローマの休日』で1953年アカデミー脚本賞を受賞したイアン・マクレラン・ハンターが名義貸しで実はダルトン・トランボであったという例が良く知られている。

ブラックリストに載ったその他の人物

アルヴァ・ベッシー (脚本家)
ハーバート・ビーバーマン (映画監督・脚本家)
レスター・コール (脚本家)
エドワード・ドミトリク (映画監督)
リング・ラードナー・ジュニア (ジャーナリスト・脚本家)
ジョン・ハワード・ローソン (作家・脚本家)
アルバート・マルツ (作家・脚本家)
サミュエル・オーニッツ (脚本家)
エイドリアン・スコット (脚本家・プロデューサー)
ダルトン・トランボ (脚本家・映画監督)

オーソン・ウェルズ (映画監督・俳優)
ピート・シーガー (フォークソング歌手、アメリカ共産党員)
ポール・ロブスン (黒人霊歌歌手、アメリカ共産党員)
エドワード・G・ロビンソン (俳優)
アーサー・ミラー (劇作家)
リチャード・ライト (黒人作家)
ジョセフ・ロージー (映画監督)
ジョン・ガーフィールド (俳優)
ウィル・ギア (俳優)
リー・グラント (女優)
ジョン・クロムウェル (映画監督)
バーバラ・ベル・ゲデス (女優)
ジェフ・コーリー (俳優)
アーウィン・ショー (作家)
ライオネル・スタンダー (俳優)
アーロン・コープランド (作曲家)
ジュールズ・ダッシン (映画監督)
ジェローム・チョドロフ (作家)
ドロシー・パーカー (作家)
ダシール・ハメット (作家)
オーソン・ビーン (俳優)
ロイド・ブリッジス (俳優)
ハリー・ベラフォンテ (歌手)
リリアン・ヘルマン (劇作家)
エイブラハム・ポロンスキー (脚本家、映画監督)
ジョン・ランドルフ(俳優)
マーティン・リット (映画監督・俳優)
ロバート・ロッセン (脚本家)
レオ・ペン (俳優)
ベティ・ギャレット(女優)

 

 

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