拉致問題

拉致問題

北朝鮮による日本人拉致問題(きたちょうせんによるにほんじんらちもんだい)とは、1970年代から1980年代にかけて、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)工作員土台人よど号グループなどにより、17人(北朝鮮側によれば13人)の日本人が、日本、欧州から北朝鮮に拉致された問題である。


日朝それぞれの政府による認定と認識

日本政府が認定した拉致事案は12件、拉致被害者は17人

北朝鮮政府側は、このうち13人(男性6人、女性7人)について、日本人拉致を公式に認めており、5人が日本に帰国しているが、残り12人については「8人死亡、4人は入境せず」と主張している。日本政府は「全員が生存しているとの前提で対処する」との立場をとっている。
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北朝鮮は、長年拉致事件への関与を否定してきたが、2002年(平成14年)、平壌で行われた日朝首脳会談で、金正日が日本人の拉致を認め謝罪し、再発の防止を約束した。しかし、このことに対する賠償などは、未だに行われていない。

2003年(平成15年)6月5日の衆議院本会議において、当時の首相である小泉純一郎は、拉致問題に関して日本の主権の侵害と国民の生命と安全に対して、大きな脅威をもたらすことから、普通はテロと言えると思うと答えている。

2018年(平成30年)現在、日本政府は首相官邸公式ウェブサイトにおいて、「対話と圧力」という姿勢を継続し、「拉致問題の解決なしに国交正常化はありえない」としている。また、日本政府認定の拉致被害者の他に、北朝鮮から拉致された疑いが拭えない「特定失踪者」の解決も、日本政府は取り組むと明言している。

北朝鮮は、国家樹立当初から武力行使を辞さぬ形で、朝鮮半島統一することを標榜してきた(詳細は朝鮮統一問題を参照)。この点においては、大韓民国(韓国)も同じ態度のまま(李承晩北進統一論)であったが、1950年(昭和25年)、北朝鮮が韓国に侵攻し朝鮮戦争に突入した。だが北朝鮮側の事前の予期に反して国連軍が韓国防衛のために派兵し、中国人民解放軍が北朝鮮を支援(介入)したことで、国土の荒廃と南北分断の固定化を招いた。

その後の北朝鮮は、朝鮮戦争からの復興事業を一段落させた後、1960年代に入ると、韓国に対する諜報活動を活発化させた。時には、直接の破壊工作も行ったと言われている。その工作活動は、少なくとも1980年代まで続けられていたことが確認されている。これらについては北朝鮮側からの反論もなされている。

1970年代から1980年代にかけ、日本国内において、不自然な形で行方不明となる者が出ていた。警察による捜査や、亡命北朝鮮工作員逮捕された土台人の証言などから、北朝鮮工作員による、日本人拉致の疑いが濃厚であることが明らかになった

それまで主として、韓国国内で活動してきた北朝鮮のスパイ(工作員)らが、この時期以降、韓国当局の手によって数多く摘発されるなど、韓国当局による北朝鮮工作員への警戒が非常に厳しくなったことで、在日韓国・朝鮮人らを抱き込んで、韓国に入国させる形での対韓国工作活動の遂行が困難になってきた。そのため、北朝鮮当局は日本人に成り済まして、工作員を韓国に入国させる手口が有効であると考え、韓国のみならず、世界各国の出入国に便利な日本人のパスポート(旅券)を奪取するため、また同時に、工作員を日本人にしたてるための教育係としての利用、あるいは日本国内での工作活動の利便性を向上させる目的で、複数の日本人を拉致したとの指摘がある。

一方で、特定失踪者問題調査会の調査結果によると、拉致されたもしくは拉致された疑いが濃厚な者(俗に言う1000番台リスト)が失踪前に従事していた職業を詳細に調べた結果「印刷工」「医師」「看護師」「機械技術者」といった、北朝鮮が国際的に立ち遅れている分野を担う職業に集中していることが判明していること、また、これらの特殊技能を持った拉致被害者に、日本人の配偶者を与え、家族を人質とすることにより、脱北させないようにするために、日本人を拉致した例も、多数あるのではないかとの指摘もある。北朝鮮には、1970年代にはよど号ハイジャック事件で北朝鮮に「亡命」した日本人男性が少なからずおり、「国家の賓客」として扱われていた。

 

拉致問題の推移

1970年代

北朝鮮工作員の日本国内への侵入は、日本の海上警備を担当する当局の警備能力の低さから、北朝鮮では非常に簡単な任務であったと伝えられている。

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領海警備を担当する海上保安庁は、当時、武装工作船への対処能力は持っておらず、また拉致そのものが表面化していなかったため、北朝鮮による隠密領海侵犯土台人の暗躍はまったくの想定外であった。【TripAdvisor】

一方海上自衛隊は、拉致といった刑事事件的な事案に関与する機関ではなく、当時はソビエト連邦潜水艦への対処しか想定していない組織であったため、不審船の領海侵犯には無為無策であった。

他国に不法侵入して、他国民を拉致する行為は、国家の主権を侵害する行為であり、国際法直接侵略とみなされる。その反面、国、政府も拉致を実行された自治体も国土、国民を守る体制、拉致後の拉致被害者奪還に対する対応ができていなかった、主権を守れなかったともみなされる。

警察では拉致の協力者への取り調べや暗号文の解読により北朝鮮による拉致を把握しつつあったが、成田空港管制塔占拠事件の発生により国内の過激派対策に注力せざるを得なくなったため、拉致への対処が遅れたとも言われる、

1980年代

1980年1月7日、産経新聞マスメディアにて初めて拉致事件の報道をする。タイトルは「アベック3組ナゾの蒸発 外国情報機関が関与?」。記者は産経新聞社会部の【TripAdvisor】
href=”https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%98%BF%E9%83%A8%E9%9B%85%E7%BE%8E”>阿部雅美。

1980年3月24日、参議院決算委員会において公明党和泉照雄アベック失踪事件について質問。この質疑応答においては「北朝鮮」という言葉は出なかったが、北朝鮮による日本人拉致問題に連なる議題が初めて国会で取り上げられる質疑となった。

1988年1月28日、衆議院本会議において民社党塚本三郎委員長竹下登首相施政方針演説に対し代表質問を行う。その中で大韓航空機爆破事件、「李恩恵」(田口八重子)および金賢姫等に言及するとともに1978年7月から8月にかけて福井県(地村保志・濱本富貴惠)・新潟県蓮池薫・奥土祐木子)・鹿児島県(市川修一・増元るみ子)において発生した若年男女の行方不明事件、富山県高岡市で発生した若年男女の拉致未遂事件について北朝鮮による犯行ではないかと指摘し、真相究明を求める。この塚本の質問は国会において初めて北朝鮮による日本人拉致について取り上げられたものであったが、竹下首相からは明確な答弁を得られなかった。

1988年3月26日、参議院予算委員会日本共産党橋本敦は1978年7月から8月にかけて福井県・新潟県・鹿児島県において発生した若年男女の行方不明事件、富山県高岡市で発生した若年男女の拉致未遂事件、「李恩恵」および金賢姫等について質問を行う。これに対し国家公安委員会委員長梶山静六は北朝鮮による拉致の疑いが濃厚であることの見方を示し、真相究明のために全力を尽くす考えであることを表明したこれは北朝鮮による日本人拉致事件の存在を政府が認めた初めての公式答弁である。

【TripAdvisor】

これに続き宇野宗佑外相は「我々の主権が侵されていたという問題」、「全くもって許しがたい人道上の問題」、「強い憤り」、「主権国家として当然とるべき措置はとらねばならぬ」と答弁。林田悠紀夫法相は「我が国の主権を侵害するまことに重大な事件」「判明したならばそこで処置」と、更に城内康光警察庁警備局長は「一連の事件は北朝鮮による拉致の疑い」、「既にそういった観点から捜査を行っている」と答弁し、北朝鮮による日本人拉致について政府の認識を示した。

一方、1988年8月、ヨーロッパにおいて北朝鮮工作員・よど号ハイジャック事件犯人関係者に拉致された石岡亨(北海道札幌市出身)と松木薫(熊本県熊本市出身)それに有本恵子(兵庫県神戸市長田区出身)の消息を伝える石岡本人の手紙がポーランド経由で石岡の家族の元に届く。この手紙によって行方が分からなくなっていた3名が北朝鮮にいることが判明した。しかし、松木については、その手紙に正確に住所が記されていなかったため、家族には時間が経ってから知らされた。石岡・有本家は日頃から北朝鮮とパイプがあることをアピールしていた日本社会党系の政治家に助けを求めることにした。石岡の家族は札幌市の日本社会党北海道連合にも相談したが、「本部に連絡をする。国交がない国なので口外しないように」と言われた。「国交がないから」という言葉は、それ以降も外務省や様々なところで言い訳に使われることとなる。【TripAdvisor】

社会民主党 (日本 1996-)#北朝鮮による日本人拉致事件への姿勢

社民党は、社会党時代の1963年に第一次訪朝団を派遣して以来、朝鮮労働党との交流を積み上げ、「朝鮮労働党唯一の友党」を標榜してきた。

一方で、党の拉致事件への対応について、日本社会党時代から朝鮮統一問題に取り組んできた田英夫は「『ご説ごもっとも。友好第一』で、本当の友人として批判する態度ではなかった」、「拉致を信じていなかった。だまされた」と述べている

1990年に、自民党の金丸信と訪朝した田邊誠元社会党委員長は、当時拉致問題に関しては全く知らなかったと釈明し、「家族からの陳情も私には届いていなかった。行方不明者がいるという話を小耳にはさみ、訪朝前に外務省や警察庁に聞いたが確認できなかった]と主張した。

社民党機関誌『月刊社会民主』1997年7月号では、社会科学研究所「月刊日韓分析」編集員の北川広和の論文「食糧支援拒否する日本政府」が掲載され、次のような記載がなされた。「拉致疑惑の根拠とされているのは、つい最近、韓国の国家安全企画部(安企部)によってもたらされた情報だけである」「産経新聞に掲載された元工作員の証言内容に不自然な点がある」。従って「拉致疑惑事件が安企部の脚本、産経の脚色によるデッチあげ事件との疑惑が浮かび上がる」。「20年前に少女が行方不明になったのは、紛れもない事実である。しかし、それが北朝鮮の犯行とする少女拉致疑惑事件は新しく創作された事件というほかない。……拉致疑惑事件は、日本政府に北朝鮮への食糧支援をさせないことを狙いとして、最近になって考え出された事件なのである」2001年日本人拉致事件が明るみに出て以降も同論文は同党の公式ホームページに掲載され続けた。

2002年9月17日小泉純一郎金正日との日朝首脳会談以降、「これまで朝鮮労働党は、社民党が参加してきた森団長、村山団長の2度にわたる訪朝団との会談で『拉致は存在しない』『行方不明者として調査する』と対応してきた。社民党も同会議の席上、拉致・行方不明者の生存確認の追及を厳しく求めてきた。」との立場を取りつつも、上記論文について、2002年10月3日の常任幹事会後の記者会見で、保坂展人総合企画室長(当時)は、「党の見解と同一かを確認したことはないが、なるべく早い時期に見解を出したい」と述べ、当面は掲載を続ける考えを示した

しかし、既に当該論文の内容や社民党における取り扱いなどが、マスメディアによって周知されており、この党の対応に対しては、党員からも抗議が殺到、保坂展人総合企画室長(当時)は「論文が拉致がなかったという内容で、家族の気持ちを思うと不適当だと判断した。今日、執筆者と連絡が取れ、削ってもいいという了解をもらった」 として、論文の削除を行った

2002年10月7日、所属する田嶋陽子が、一連の対応を「(拉致事件という)現実に対する対応にスピード感も柔軟性もない」と批判のうえ、離党を表明する事態に陥ると、福島瑞穂幹事長(当時)は、本来、党の政治的見解等の広報を担う機関誌に掲載した論文であるにもかかわらず「当時の状況下における個人論文で党の見解ではない」と釈明し、土井たか子党首(当時)は田嶋陽子の離党に関する記者会見において、「(朝鮮労働党との間で)拉致問題を取り上げなかったわけではないが、追及が十分とは言えなかった。被害者の家族には申し訳ありませんと、お詫びしたい」と謝罪している]

安倍晋三内閣官房副長官(当時)は、そのような党の姿勢について、「いかにも(自分が)昔から取り組んでいたかのように、小泉純一郎首相の決断を批判するのは、ちゃんちゃらおかしい。まずは反省するべきだ」「警察も外務省も対応が冷たく、新聞もどこも報道しなかった。それどころか社民、民主の議員は『いいかげんなことを言うな』とわめいていた」等と厳しく批判した

平沢勝栄からは「拉致はないと言っていたんだから社会党は。それを信じていたんだから。」「拉致問題はないとは言ってないと言いますけどね、私は土井たか子さんの(発言を)鮮明に覚えてます。土井たか子さんはね、『拉致問題拉致問題って言うけど、先方が拉致なんかないって言っているんだからないんです』とテレビで言った。これは鮮明に覚えています。」と厳しい批判を受け、また、拉致被害者家族の有本嘉代子からは「社民党ですか? 私、あれ日本の政治家と思ってませんよ。あれは北朝鮮の政治家です。」と厳しく批判されている

拉致被害者の有本恵子は、土井たか子の選挙地盤であった西宮市の出身であり、有本夫妻は当初、北朝鮮にパイプを持つ土井に拉致問題の調査を依頼したものの、拉致の存在を信じていなかった土井は、積極的に取り組まず、土井や社民党に失望した有本夫妻は、土井の対抗馬であり、民社党兵庫県議会議員時代から、日本人拉致事件に取り組んできた自由民主党大前繁雄2003年の総選挙において応援。その結果、土井たか子は党首であるにも関わらず、兵庫県第7区で落選を喫し、近畿ブロック比例区で復活当選した。

2003年11月2日放送の『報道2001』では、司会の「かつて社民党は拉致は『でっち上げ』ということをおっしゃっていましたよね」との質問に対し、土井たか子は「そんなことを党として言った事はないですよ、それはおかしい報道ですね。それは事実と違います」と発言した。

一方、有本の両親は上京して自由民主党の政治家に助けを求めることを決め、1988年9月、東京都千代田区永田町衆議院議員会館自由民主党幹事長安倍晋太郎を訪ねる。安倍は夫妻の訴えを聞き届け、当時秘書だった次男の安倍晋三に夫妻を外務省と警察庁に案内するよう命じ、夫妻はここに至って事の次第を外務省・警察庁に伝えることができた。以後有本夫妻は安倍父子に連絡するようになり、安倍父子はこの問題に取り組むことになるが、1989年6月、晋太郎はを発症し入院。幹事長も退任した。以後入退院を繰り返したが、1991年5月、晋太郎は他界した。後継者となった晋三は亡父の地盤を引き継ぎ、1993年第40回衆議院議員総選挙に立候補し当選。以後国会議員としてこの問題に取り組むことになった。

梶山の答弁以降、しばらく国会で取り上げられることはなく、警察の捜査の進捗状況や事件の真相も明らかにならないまま一般には半ば忘れられた問題となっていた。

1990年代

家族会の結成

1996年9月、『金正日の拉致指令』が出版される。著者は石高健次(朝日放送)。元北朝鮮工作員からの証言を元に取材し、日本人拉致事件の情報を公にした。

1997年初頭、元北朝鮮工作員で脱北者の安明進の証言が出て事態が動き出す。同年1月23日、新進党西村眞悟は衆議院予算委員会に「北朝鮮工作組織による日本人誘拐・拉致に関する質問主意書」を提出し、初めて横田めぐみ拉致事案を取り上げ、政府の認識を問うた。

同月新潟県で「北朝鮮に拉致された日本人を救出する会」が発足し、一部の拉致被害者家族が実名公表を決める。これを受け同年2月3日、衆議院予算委員会において西村は大韓航空機爆破事件や文世光事件、金賢姫の著書などに言及しながら横田めぐみ・久米裕・田口八重子・原敕晁らの実名を挙げ、彼らが北朝鮮に拉致されていると明確に指摘した質疑を行い、橋本龍太郎首相、池田行彦外相に政府の見解を質した。大手マスコミもこれを報道し、当時13歳の中学生少女が拉致されていたという事実の指摘は国民に衝撃を与え、北朝鮮による拉致事件が広く国民に認識される契機となった。

このように国内で拉致問題が初めて大きくクローズアップされるなか、3月25日に「北朝鮮による拉致被害者家族連絡会」(家族会)が結成され、救出活動を開始することになった。また国会内では議連結成の動きが本格化した。4月15日、自由民主党衆議院議員中山正暉が会長となり、超党派の議員による「北朝鮮拉致疑惑日本人救済議員連盟」(旧拉致議連)が設立された。同年5月1日の参議院決算委員会において自民党吉川芳男の質疑に対し、伊達興治警察庁警備局長(当時)が北朝鮮によって横田めぐみが拉致された疑いがあるとした答弁し、政府は「7件10人が北朝鮮に拉致された疑いが濃厚」と発表。メディアが拉致問題を一斉にクローズアップした。拉致問題の報道が本格的になると同時に国民の関心も徐々に高まっていった。 拉致問題解決の署名活動が行われ、1997年8月末には60万人、1年後には100万人を越えた。このうち、福井県では地元の拉致被害者の父地村保らの活動により、県民の半数の署名を集めている。

拉致議連の混乱

旧拉致議連において当初中山は「拉致問題が解決するまでは北朝鮮に対して食糧支援を行わない」と発言するなど強硬な姿勢を見せ、議連も一致してその原則で臨んでいた。しかし中山は1997年11月に平壌を訪問して以降、急遽各方面に拉致事件否定説を発表するなど不可解な行動を見せた。翌1998年には拉致議連会長のまま日朝友好議員連盟の会長に就任し、政府の政策と矛盾する言動を取り始めた。中山の態度豹変に対し、北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会(以下「救う会」)はもとよりマスコミや当時中大生であった憲政史家倉山満が創設した「中大生(蓮池薫)を救う会」などから疑念と批判の声が上がった。また中山の行動が影響し、旧拉致議連参加議員の中から日朝友好議員連盟にも重複加入する議員が現れるなどしたため、旧拉致議連は活動休止状態に陥った。その後も中山は、2002年3月20日、拉致被害者である有本恵子の母・嘉代子に電話をかけ、「日本人が日本人を連れていったもので、北朝鮮の工作員が関与していないという話の方が有本さんを帰国させやすい」と説明したほか、北朝鮮で会わせることを持ちかけた。会長自らそれまでの方針を勝手に翻し、このような言動を行ったことで家族会の疑念を生むことになった。議連メンバーや救う会関係者、支援者から批判を浴びた中山は「日朝友好議員連盟会長」と「北朝鮮拉致疑惑日本人救済議員連盟」の両会長を辞することになった。

旧拉致議連は後任人事について桜井新幹事長と西村眞悟事務局長代理に一任したが、同年4月3日、両名の協議の結果「体制一新が必要」との判断に達し、旧「北朝鮮拉致疑惑日本人救済議員連盟」は解散した。これを受けて同月、石破茂を会長、西村を幹事長、平沢勝栄を事務局長とした「北朝鮮に拉致された日本人を早期に救出するために行動する議員連盟」(新拉致議連)が改めて結成された。同年4月25日の新拉致議連設立総会には衆参国会議員31人と代理30人が参加、家族会・救う会と結束して行動することを確認した。新拉致議連は当時経済産業大臣だった平沼赳夫内閣官房副長官の安倍晋三らが賛同、第1次小泉内閣もこれを支持するところとなった。また中川昭一上田清司ら新拉致議連の呼びかけ人に応じた中井洽古屋圭司ら自由民主党・民主党自由党保守党の超党派の議員が発足当初から参加しているが、公明党社会民主党・日本共産党からの参加はなかった。一方中山は同年5月7日の昼、赤坂プリンスホテル中華料理店で「救う会」の役員に「有本恵子さんは生きている」と語ったが、9月21日の12時頃、「救う会」の西岡力秘書を通じて中山にこの発言の根拠を確認したものの回答はなかった。このような中山の言動は被害者家族はもとより国民の不信感を生み、拉致事件の解決が妨害されたとして真摯な説明と謝罪を求める声が議員辞職後の現在も多くあがっている。

2000年代

2000年4月9日、石原慎太郎東京都知事は「北朝鮮にら致されていた、いたいけなあの少女1人を救うこともできずに、これは政府の責任である」と前置きし「不法入国した多くの三国人、外国人が非常に凶悪な犯罪を繰り返している」と述べた。また石原は2001年9月30日のテレビで「北朝鮮が日本人150人を拉致した」との趣旨の発言を行い、朝鮮総連が「事実無根で悪意に満ちた暴言。発言の根底には、朝鮮民族に対する深い蔑視と差別の思想がある」と反論した。 和田春樹は『世界』2001年1月および2月号に掲載した論文「『日本人拉致疑惑』検証する」において、「横田めぐみさん拉致の情報は、その内容も、発表のされ方も多くの疑問を生むものである。以上の検討からして、横田めぐみさんが拉致されたと断定するだけの根拠は存在しないことが明らかである」と、北朝鮮の日本人拉致について否定的な見解を示した。このため、翌2002年に北朝鮮が拉致問題を認めて以降、『諸君!』、『正論』等からは激しい批判が加えられるに至った。これについて和田は拉致の存在そのものを否定したわけではないと釈明した。

しかし、中には金正日が拉致を認めるまで拉致を捏造と主張する個人や団体が存在した。

例えば、弁護士土屋公献は2002年までは「拉致問題は存在せず、国交交渉を有利に進めたい日本側の詭弁である」、「日本政府は謝罪と賠償の要求に応じるどころか、政府間交渉で疑惑に過ぎない行方不明者問題や『ミサイル』問題を持ち出して朝鮮側の正当な主張をかわそうとしている。破廉恥な行動と言わざるを得ない。」と、講演で繰り返し主張していた。土屋は後に「裏切られたという思い、強い憤りを感じる。北朝鮮政府の言うことを信じ、大勢の人々に対し様々な講演で拉致は無かったと説明してきたことを、申し訳ないと思っている」と語っている (その他辛淑玉吉田康彦も拉致を否定した)。

団体では社民党が党のホームページに「韓国安全企画部産経新聞のデッチ上げの疑惑があり、少女拉致疑惑事件は新しく創作された事件というほかない」と事件の捏造を断定する趣旨の北川広和の論文を載せていた。

一方で北朝鮮に比較的擁護的だった立場の人々、とりわけ多くの在日朝鮮人や一部の保守政治家、または左翼勢力(主に旧日本社会党、現在の社会民主党)の中には北朝鮮による日本人拉致問題を右翼や政府による捏造と信じて疑わなかった者が多く、一部では朝鮮人差別を原因とした捏造であると信じていた者もいた。社会民主党の月刊誌、月刊社会民主1997年7月号では、拉致事件をデッチ上げとした上で、拉致疑惑事件は、日本政府に北朝鮮への食糧支援をさせないことを狙いとして、最近になって考え出され発表された事件なのである、としている

北朝鮮による拉致が公になった後の、日本政府の動きは鈍かった。拉致被害者の兄の蓮池透によれば、被害者の情報を求めに警察庁に訪れても「捜査上の秘密」と何も得られず、また外務省の嘆願に訪れても「誠意をもって取り組む」と単なる言葉のみだけにすぎなかった。また法務省人権擁護局に至っては「仕事の範囲外」と、まともに相手にしてくれなかった。拉致事件解決の鈍い動きの反面、この時期の日本国政府は、北朝鮮への食糧支援の動きは積極的であった。

こうした状況を打開するため、救う会は政府機関や与党自民党の前で座り込みをする活動を行った。しかし政府は、2000年、田中真紀子等コメ議員たちの援助積極論の力により、北朝鮮への50万トンもの国内の支援を決定した(費用は1100億円)。なお、このときの畑恵参議院議員は救う会の活動を「暴徒と化している集団」と呼んでいたという。また、野党も、社民党党首土井たか子は「食糧援助と拉致疑惑は切り離すべき」と主張し、民主党の鳩山由紀夫も、同様の演説をした。

2001年平成13年)9月11日に、アメリカ同時多発テロ事件が発生、10月30日の参議院内閣委員会にて、出された質問「拉致をテロと認識するか?」に対し、福田康夫内閣官房長官)は「拉致はテロではない」と、拉致事件への消極的な答弁を行った。

この様な拉致事件への消極的な政治対応が一変する事件が起こった。2002年1月に、北朝鮮工作船による九州南西海域工作船事件が発生、さらに、この年のジョージ・W・ブッシュアメリカ合衆国大統領一般教書演説にて、イランイラク、北朝鮮を『悪の枢軸』だと発言した。

2002年4月、衆議院ついで参議院にて、「日本人拉致疑惑の早期解決を求める決議」が採択される。4月25日には新拉致議連が発足する。

2度の日朝首脳会談

2002年9月17日、小泉純一郎首相(当時)が北朝鮮の平壌を訪問し、国防委員会委員長・金正日と会談した(日朝首脳会談。元北朝鮮外交官・太永浩によると、小泉首相は拉致を認め被害者を帰国させれば100億ドルを払うとしているその席で北朝鮮側は、日本人13人を拉致したことを認め、金正日総書記自らが日本人拉致事件について、「遺憾なことであり率直におわびしたい。私が承知してからは関係者は処分された」と述べ、北朝鮮側としては「実行者は英雄主義に走ってかかた一部の特殊機関の者による行為」とし、関係者はすべて処罰したと説明した。また、「死亡」したとされる8人に関する「死亡診断書」などの情報を提出したが、これらはすべて捏造であったことを日朝実務者協議(2004年11月)で認めた。日朝平壌宣言では「国交正常化の後」、「経済協力を実施」することとなっているが、日本政府は「拉致問題の解決なくして国交正常化はありえない」と繰返し述べている。

5人の帰国

その後の交渉で、北朝鮮が生存していたとした5人の拉致被害生存者については、一時帰国を条件に2002年10月15日に帰国が実現した。交渉は外務省アジア大洋州局長の田中均(当時)と国家安全保衛部第一副部長の金詰(キム・チョル)という偽名を名乗る人物(正体は副部長の柳京(リュ・ギョン))の間で行われた。田中局長は「生きている拉致被害者を4人から5人程度出せばいい」と提案、北朝鮮側が了承し、5人の一時帰国が実現した。

5人の帰国後、日本政府は世論や拉致被害者家族会の要望などにより、一時帰国した被害者を「北朝鮮へ帰す」ことを拒否し、5人の家族の帰国も要求する方針をとった。このため、北朝鮮側は「日本政府に対し約束違反だ」と主張した。このような北朝鮮政府の抗議により、その後の交渉は、北朝鮮政府が日程を決めないなどした為に中断した。

帰国した拉致被害者

  • 地村保志・地村(浜本)富貴恵夫妻
  • 蓮池薫・蓮池(奥土)祐木子夫妻
  • 曽我ひとみ
  • 示するブルーリボンバッジ

    2002年(平成14年)9月17日の小泉純一郎と金正日による日朝首脳会談(第1回)で、金正日国防委員会委員長が、一連の拉致事案や工作船事案を認めて謝罪した事で、状況は一変する。マスメディアは連日、日本人拉致問題を報道して北朝鮮を激しく糾弾し、国民の多くは対北朝鮮制裁を強く訴えるようになった。大韓民国の東亜日報は、当時の日本国民の激怒ぶりを「憤怒」と報じた。

    報道におけるタブーとして有名であった「北朝鮮、朝鮮民主主義人民共和国…(以後、北朝鮮と呼称する)」という呼称方法が一斉にマスメディアから姿を消し、単純に「北朝鮮」と呼称する様になった。英語圏に於いては、拉致事案を Kidnap誘拐)から Abduction拉致)へと表現を強めた。

    日本人拉致問題を「でっちあげ」と言い続けてきた在日本朝鮮人総聯合会は、本国に梯子を外された格好となり、急遽記者会見を開き火消しに奔走したが、時既に遅かった。同時に「拉致事件に怒りを覚えた一部の日本人によってチマチョゴリを着用した女子生徒への嫌がらせ事件(チマチョゴリ切り裂き事件)や朝鮮学校生徒への暴言・暴行がある」と、朝鮮総連は主張したが、日本の警察は、それらの事件について、政治的背景はないと判断した。

    在日朝鮮人のショックは、相当な物であった。金時鐘は「植民地統治の強いられた被虐の正当性も、これで吹っ飛んだ気にすらなった」と嘆き[、「拉致事件に対置して『過去の清算』を言い立てることがいかに、冒してはならない民族受難を穢すことであるかを、私達は心して知らねばならない」と述べた。

    北朝鮮に対して、比較的友好的な立場を採っていた人々は、日本の世論の大転換を目の当たりにして、日本人拉致事件について言及せざるを得ない状況に追い込まれ、また日本人拉致事件を『捏造』『デッチ上げ』と主張していた人々は、事実認識の誤りを撤回して、謝罪を迫られる状況に追い込まれた。なお、アントニオ猪木のようにこの世論の大転換を疑問視する発言をしている者もいる。ただし猪木は後述のSAPIOでの発言にあるように拉致問題の解決自体に否定的なわけではない。

    現在、東京都都営地下鉄各駅では、北朝鮮による東京都での特定失踪者たちの顔写真を、駅構内にポスターとして貼り付け「東京へ返せ」と訴えている。

  • 被害者家族組織・支援団体

  • 北朝鮮による拉致被害者家族連絡会(家族会) – 代表:飯塚繁雄、副代表:有本明弘、浜本七郎(帰国者担当)、事務局長:増元照明、事務局次長:横田拓也。1997年3月結成。
  • 北朝鮮に拉致された日本人を早期に救出するために行動する議員連盟(拉致議連) – 会長:平沼赳夫
  • 特定失踪者問題調査会 – 2003年(平成15年)10月に、家族会から分離する形で設立。北朝鮮工作員に拉致された疑いが拭い切れない日本国政府未認定の日本人を調査し、しおかぜで北朝鮮に情報を届ける。
  • 曽我さん母娘を救う会 – 会長:菊地廣至、事務局長:臼木優。

    支援団体など

    • 日本ブルーリボンの会
    • 大阪ブルーリボンの会
    • 大阪ブルーリボンの会 (@osakablueribbon) – Twitter
    • 救う会:北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会
    (救う会各地のウェブサイトは北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会を参照)
    • 救う会_最終決戦のとき不退転の決意で (@sukuukai) – Twitter
    • 特定失踪者問題調査会
    • 荒木和博 特定失踪者問題調査会代表 (@ARAKI_Kazuhiro) – Twitter
    • 拉致問題を考える川口の会 拉致被害者・失踪者の集中する川口市の市民グループ
    • 蒼き星々 北朝鮮拉致被害者家族支援サイト
    • Blue jewel「蒼き星々」関連テキスト・資料などのバックアップサイト
    • KONAboration-SSQ 特定失踪者高野清文の妹運営
    • THINK(Their Home Isn’t North Korea): Abduction by North Korea Resource Site 拉致問題英文サイト
    • 大澤孝司さんと再会を果たす会
    • 蓮池薫さん・奥土祐木子さんと再会をめざす会
    • 古川了子さんを救う会
    • 山本美保さんの家族を支援する会
    • 前上昌輝くんを救う会
    • 拉致被害者・家族義援金委員会
    • 拉致被害者全員奪還ツイキャス(公式) (@dakkan2017) – Twitter ツイキャス 毎週日曜日22時~配信中
    • 月さん(奪還キャス運営) (@0PZqgUwEkrtYI0B) – Twitter 拉致被害者全員奪還 ツイキャス運営兼 発起人

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