大阪都構想に通底する新自由主義

大阪都構想に通底する新自由主義

大阪都構想に通底する新自由主義

 

今回は西田昌司参議院議員より、共に迷走しているブレグジットと大阪都構想の共通点についてお話しいただきます。

 


 

 

西部邁「橋下徹とこの時代、私はこう考える」

 

「民主主義の哀れな結末」

ま ず、民主主義というものを奉じる人々、いわんや平成に始まった構造改革運動を信じてきた人々は、橋下市長の誕生を見て拍手喝采しなければなりません。しか し古代ギリシャの昔から、民主主義というものの行き着く先は、論理的・必然的に「デスボティズム」(独裁政治)です。政党名で言えば、カール・マルクスは ドイツ社会民主党の党員であり、ウラジーミル・レーニンもロシア社会民主労働党員でした。現在の北朝鮮も、正式には「朝鮮民朝鮮民主主義人民共和国」と言 います。「主義としての民主主義」を奉じると、ほぼ必然的に、そういうデスポット=御主人を仰ぎ見ることになるわけです。

日本でデモクラ シーは「民主主義」と訳されますが、本来は「デーモス」(民衆)による「クラシー」(政治)、つまり「民衆政治」と訳すべきです。民衆=多数者の参加の下 での多数決で物事が決まる以上、真っ当な政治が行われるかは、多数派が真っ当であるかによる。仮に、多数派が「アホ」だった場合、そこから導き出される結 末は、やはりアホなものになってしまう。

だから、「どういう多数派が健全なのか」という議論が必要なのですが、戦後の66年間、そんな議 論が言論界で中心になったことはありません。

それどころか日本では、「民衆」は無条件に正しく、多数派はご立派なんだ、とされてきました。私は最近、自分 の長い人生のイタチの最後っ屁みたいな気持ちで『文明の敵・民主主義―危機の政治哲学』(時事通信社)という本を書いたのですが、そういう戦後民主主義に 疑問を抱き続けてきた私からすれば、橋下さんなど、まさに日本の民主主義の権化というか、申し子に思えます。

 

 「デモ」は「デマ」

「デ マゴギー」という言葉があるでしょう。直訳すると「民衆煽動」という意味です。日本人は、世間に流通している嘘話という意味で、デマという言葉をよく使 う。実はこのデマはどこから来たかというと、デマゴギーのデマつまり「民衆」が語源なのです。古代ギリシャの時代から、デモクラシーというものはデマ、つ まり嘘話交じりの煽動、デマゴギーによって大いに歪められるものであるというのが定説なのです。

典型例が、「世論」すなわち「パブリッ ク・オピニオン」です。実は「オピニオン」という言葉は、「根拠の定かならぬ臆説」というのが元々の意味です。それに対し人々が共有している根本感情を 「センティメンツ」つまり「情操」と言い、これを広く言い表すと「コモンセンス」になるのですが、大事なのは、そのコモンセンス。国の人々が歴史的、社会 的に共有している共通の感情や認識としての常識こそが重要なのであり、それに基づかないオピニオンなど、吹けば飛ぶような臆説に過ぎない。

と ころが日本の場合、明治維新から歴史が大きく曲がり始め、大東亜戦争の敗北により、不連続とは言わないまでも決定的に歴史が屈折、湾曲してしまった。日本 では、すでにコモンセンスの実質が失われてしまったのです。こうして、吹けば飛ぶようなパブリック・オピニオンが民主政治を支えるようになり、ついに民主 主義という名のデスポティムをもたらしたということです。

 

独裁者が出現するとき「維新」は「御一新」にあらず

橋 下さん以前にも、「平成維新の会」などと称し、「維新」という言葉を撒き散らす人々がいました。確かに、明治維新では「御一新」と言って、「古いものはす べて壊せ」「すべて一新せよ」という風潮があったことは事実でしょう。しかし、これは根本的に間違った考えです。「維新」の「維」の字には、糸が縦横に繋 がっているという意味がある。「過去・現在・未来がしっかりと繋がった歴史がある」ことを指す言葉です。

つまり、古くからある国家として のコモンセンスを、現状に合うような形で新たに応用していく。それこそが、本来の「維新」ということ。ところが平成改革のどれ一つを取っても、日本に古く からあるコモンセンスを守りつつ現状を改革する、という真の意味での保守的改革論は、ほとんど一行もありませんでした。変革自体はいい。しかし何を守るた めの変革なのか。それが維新論、革命論の本質なんですが、どうも、橋下さんがそれを分かっているようには見えません。

 

 「政党政治なき首相公選制」は「直接民主主義」

首 相公選制というのは以前からある考え方です。古くは中曽根康弘さん、石原慎太郎さんもそう。他にもたくさんおっしゃっていた方がいる。首相公選制が絶対に 悪いとは言いません。ただ、政党政治の中で公選の立候補者を選ぶ場合は、例えばアメリカのような野蛮な国にすら見られるように、共和党の代表を誰にする か、民主党の代表を誰にするかという、政党の中での侃侃諤諤(かんかんがくがく)たる議論を経て、ようやく比較的能力のある人間が公選に打って出る。その プロセスがあって初めて、バカなデスポット(独裁者)が出てくることが防がれる。

あるいは議会政治がしっかり機能し、そこで議論や政策の 審議が行われ、内閣が出した政策を議会がしっかりとチェックできるならば、首相公選制、あるいは大統領制も悪くはないと言えるかもしれません。ところが、 この平成の日本においては、議会政治のメルトダウンと、政党政治のブロークンダウンが急速に進行しています。議論やチェックはないに等しい。そんなところ で首相公選をやろうとするなら、我々は「民主主義のど真ん中から独裁者が生まれてくる」可能性、それどころか必然性を考えなければいけない。

ア ドルフ・ヒトラーは1933年の授権法(全権委任法)で独裁者になったわけですが、何も勝手に全権を奪ったわけではない。国民投票でそれを決めたのです。 過去の数々の事例を見れば、「議論なき、議会なき公選制」がどれほどインチキで、トンチキな最高指導者をもたらすかということは、歴史の教訓の第一に挙げ られるべきものです。

すべてを単純化する人たち 庶民の知恵なき「議院」

橋 下さんは参議院の廃止も唱えている。そこは私も半分は同意できます。なぜなら、今の衆議院も参議院も、本質的に同じになってしまっているからです。参議院 の「参」はもともと男性の髪飾りのことで、立派な髪飾りを持った特別な階級の人、という意味ですが、いまやそんな性質はなくなって、衆議院も参議院も、単 なる人気投票の館になっている。変わらないものを2つ置く意味はなく、そういう点で「半分」は橋下さんに同意しましょう。

とは言え、衆議 院の”人気院”化が加速している以上、世論とは一線を画し、大所高所から物事を判断する能力を持った人たちの集まりは、今こそ必要です。そういう議論を一 切せずして、単純に参議院廃止論を唱えていいわけがない。17世紀のヨーロッパの言葉で「すべてを単純化する恐ろしい人々」というものがありますが、橋下 さんたちはまさにこれにあたります。「すべてを子供っぽくする哀れな人々」ばかり。残念ながらそれが日本の現状なんでしょう。

 

憲法をなんと心得るか

参 議院の廃止も首相公選制も、憲法改正に関わること。当然、憲法問題を論じなければいけない。ところが橋下さんは、憲法についてきちんと論じていませんね。 憲法改正と言うと、憲法9条の問題が論じられることが多いのですが、本当に議論すべきは、憲法前文の考え方、その国家観のなさ、歴史観の欠如なのです。

憲 法前文の第一項では、「主権が国民に存する」となっていますが、その「国民」とは誰のことか。日本の歴史に基づいたコモンセンスを身に付けた人々こそが 「国民」であり、日本列島にただ住んでいるだけでは国民とは言えません。第二項「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して」という部分も、この「諸国 民」とはアメリカのこと。アメリカが作った憲法ですから。つまりアメリカの公正と信義を信頼しておけば日本人は大丈夫と言っているわけで、実はとんでもな い文言なんです。

第三項はさらに重要です。この憲法に書かれている政治道徳は「普遍的」であると謳っている。これはつまり「アメリカ的な デモクラシーこそが普遍だ」と。国民が違えば道徳は違います。経済道徳、文化道徳、すべてが具体的に違うはずなのに、とにかくアメリカ的なるものが普遍的 であるというのです。この第三項こそ、グローバリズムやマーケットファンダメンタリズム(市場原理主義)において危機をもたらしている元凶だと私は考えて いますが、そうした認識は、おそらく橋下さんには微塵もないでしょう。

 

この人にモノ申すのは無駄 資本主義のスタンピード(大敗走)を見据えよ

橋 下さんはTPP(環太平洋経済連携協定)に賛成と言っています。私の結論は大反対なんですが、今、ここで賛成か反対かを論じる気はありません。ただTPP 賛成論の中には、自由貿易あるいは自由経済取引が、必ず交換の当事者にメリットをもたらすという誤った考え方があり、そこが大きな間違いです。

自 由貿易が当事者双方にメリットをもたらすには、生産要素が国際間を移動しないなどの条件が必要です。しかし最近は、資本も労働力も、平気で移動していく。 そんな時に自由経済を過剰に推し進めたら、安い賃金を求めて資本が国外に流出し、人間も職を求めて海外に逃避していきます。そうして、産業空洞化を嘆くこ とになる。経済取引というのは、自由貿易と組織的保護の間で、国家としてどうバランスを取るかということです。自由貿易も大事ですが、自分たちの地域、国 家の自立性は、自分たちで守らないといけない。それを認識しないで、ただTPPに賛成している。

未来を予測できるとするIT革命論は単な る詐欺で、その結果、リーマン・ショックが起きたように、資本主義は常に危機に直面しています。そんな資本主義のスタンピートを回避し、処理できるのは、 ITという機械ではなく、歴史が紡いだコモンセンスに基づいた「ネイションズ・オーガニゼーション」つまり「国民の組織」しかない。橋下さんを含め日本の 政治家やエコノミストは、そんな議論を踏まえた上で、TPPに賛成しているのか?

 

不安定社会における民主主義の大暴走

最 後に、橋下さんは消費税増税についても賛成と言います。日本の国民負担率はヨーロッパと比べて低いですから、私も長期的には、税負担および保険金負担とし て国民負担率を上げるということには賛成です。しかし、民主党が言っている「税と社会保障の一体改革」はデタラメです。消費税で歳入を増やし、社会保障を 充実させると。これのどこが一体改革なのか。だいたい消費税ばかりが議論されますが、個人・法人の所得税はどうするのか。税のほかに保険料は? 全体として何の議論もなしに、一体全体、何の一体改革か。

長い間「小さな政府論」が唱えられてきましたが、本来、社会福祉国家を目指すな ら、その公共サービスを実施するための政府が必要です。「小さな政府」で、それができるのか。公務員の月給や数を減らせと言っていますが、それが、ただで さえ底冷えしている国内需要をさらに冷え込ませた場合、どうするのか。そういう「一体」の議論は、まったく行われていない。民主党の嘘話を橋下さんが見抜 かず乗っているのですから、それは「船中八策」どころか、「車中八策」とすら言えたものじゃない。車は車でも「乳母車」ではないかと、嫌味の一つも言いた くなります。

私は、橋下さんを見て、「恐ろしい独裁者が出る」などと怯えているわけじゃないんです。もはやこの国には、恐ろしげな独裁者 を生み出すほどの国民的パワーなどないんですから。ただ、橋下さんは著書の中で、「弁護士と政治家は嘘をついてなんぼのもん」という意味のことを書かれて いるそうです。つまり「自分の言うことは嘘です」と言っているわけで、そんな人に何を言っても仕方がない。

ケンカを売っているわけでもな い。ツイッターで、「関東の西部とやらがどうのこうの」とか、そんな呟きも「嘘こいてなんぼのもん」の一部なんですから、この人にモノ申すのは無駄です。 橋下さんの台頭は、失敗した戦後民主主義の当然の帰結で、民主主義者は浮かれ騒いでいればよい。そんな民主主義を認めない私としては、あの世のほうがよほ どに真っ当そうだ……。そんな西部線、いや西武線の車中気分でした。

「維新版・船中八策」(維新八策)/ 橋下徹・大阪市長の「大阪維新の会」が打ち出した公約。「日本再生のためのグレートリセットを謳い、首相公選制導入を含めた(1) 統治機構の作り直し、(2) 財政・行政改革、(3) 公務員制度改革、(4) 教育改革、(5) 社会保障制度、(6) 経済政策・雇用政策・税制、(7) 外交・防衛、(8) 憲法改正、などについて方向性が示されている

西部邁(にしべ・すすむ)

1939年、北海道生まれ。東京大学経済学部卒、東京大学教養学部教授を経て、雑誌『発言者』主幹などを務める。現在、隔月刊誌『表現者』顧問。’09年に芸術選奨文部科学大臣賞を受賞。近著『文明の敵・民主主義―危機の政治哲学』など

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