フーバー回顧録

フーバー回顧録

ハーバート・フーバー (1874~1964)、大統領在任1929~1933年。
マルクス以来の国際共産主義運動を回顧する。

 

本書は、第31代アメリカ大統領ハーバート・フーバー(任期1929~33)が第二次世界大戦の過程を詳細に検証した回顧録です。第二次世界大戦とは何だったのか――。従来の見方とは真っ向から対立する歴史観をもつ本書は長い間、公にされませんでしたが、2011年に米国フーバー研究所から刊行され話題を呼んでいます。さまざまな情報にアクセスできたアメリカの政治指導者が、20年の歳月をかけて完成させた第一級の史料です。

《本書では1941年以前の対日関係を詳しく記すことを目的としていない。しかし、我が国が戦争に突入することになった直接の原因に日本がなっている以上、真珠湾攻撃に至るまでの経緯を書かないわけにはいかない。アメリカ政府は(対日交渉の経緯を)国民に隠していた。そしてその後の教育でも、何があったかの歴史の真実を教えていない。だからこそ、対日交渉の経緯はしっかりと書いておかなくてはならない。》

《ナチス理解に役立ったのは、ヒトラーの右腕である元帥ヘルマン・ゲーリングとの会見である。……ゲーリングは私にチェコスロバキアの地図を示して、この形が何かに似ていないかと尋ねた。何も思い浮かばないでいるとゲーリングは、「ドイツに突きつけられた矢尻だ。我がドイツの体に突き刺さっている」と説明した。》

《いま(開戦時)二人の独裁者――ヒトラーとスターリンが死闘を繰り広げている。二人はイデオロギーに凝り固まった夢想家であり、兄弟のようなものである。……我が国(アメリカ)は防衛力をしっかりと整備し、両者の消耗を待つべきである。……我が国の掲げる理想にもかかわらずスターリンと組むことは、ヒトラーと同盟を組むことと同じであって、アメリカ的理念への叛逆である。》

《国民も議会も我が国(アメリカ)の参戦に強く反対であった。したがって、大勢をひっくり返して参戦を可能にするのは、ドイツあるいは日本による我が国への明白な反米行為だけであった。ワシントンの政権上層部にも同じように考える者がいた。彼らは事態をその方向に進めようとした。つまり我が国を攻撃させるように仕向けることを狙ったのである。》

《ハルは自身の回顧録の中で、ここ(本書)で記した日本政府との交渉の模様をほとんど書いていない。そして交渉についてはただ否定的に書いている。……その文章には真実がほとんど書かれていない。》

《近衛(首相)の失脚は二十世紀最大の悲劇の一つとなった。彼が日本の軍国主義者の動きを何とか牽制しようとしていたことは称賛に値する。彼は何とか和平を実現したいと願い、そのためには自身の命を犠牲にすることも厭わなかったのである。》

《ルーズベルト氏は「非帝国化構想」を持っていた。彼の標的はドイツ、イタリア、日本だけではなかった。彼はイギリス、フランス、オランダの非帝国化を目論んでいた。そうでありながら、彼の構想には一か国だけ例外があった。巨大できわめて攻撃的な帝国ソビエトであった。》

《あの(第一次世界大戦・戦後の)経験を踏まえればわかるように、アメリカには26もの民族がいるヨーロッパにも、それ以外の地域にも、自由や理想を力で押しつけることはできない。(そうしたことができると思うのは)狐火を見るようなものだ。そんな怪しい理想の実現のために再び若者の命を犠牲にしてはならない。》

《本書執筆にあたって役立ったのは、収集した多くの資料である。第一次世界大戦が勃発した頃、フーバー研究所図書館(スタンフォード大学内)を発足させた。現在は250万点以上の貴重な文書、講演録、書籍、日記、パンフレット、会見記録、各国語による条約文書を所蔵している。……本書の準備に20年以上を費やしたが、各国語で書かれた文書を入念にチェックする必要があった。》

第1章 共産主義の創設者、指導者、原理、方法
ハーバート・フーバー (1874~1964)、大統領在任1929~1933年。
マルクス以来の国際共産主義運動を回顧する。

第2章 1933年9月、ソ連の承認
ウィルソン大統領 (在任1913~21、民主) 以来、クーリッジ (共和)、ハーディング (共和)、フーバー(共和、1929~1933) のどの大統領もソ連を承認しなかった。
1932年、大不況の時代、退役軍人が前大戦時の報酬としてボーナス支払いを求めて起こした「ボーナスデモ行進」、および世界中に出回った米ドル偽札はソ連の陰謀であった。ルーズベルト大統領もそれを知っていた。
1933年9月にルーズベルト(民主) が就任し、翌月よりソ連承認の交渉を始めた。ルーズベルトはソ連に融資を与える契約を結び、ソ連は米国を転覆させる陰謀に加担しないとの約束をし、ただちに米国はソ連を承認した。しかし米国共産党の幹部は著書で「米国共産党はこの約束に縛られない」と述べている。
米国によるソ連の承認は世界におけるソ連の地位を高め、他の諸国もこれにならってソ連を承認した。このことが今日までのかれらの謀略の始点となった。

第3章 クレムリン、米国民に襲いかかる
ソ連承認以来米国の共産党員は激増し、承認前13000人であったものが1938年には8万人となった。
連邦政府への党員の浸透は1938年に始まり、この時「上院反米活動委員会」が設けられた。1950年には司法委員会の下に「国内安全保障小委員会」が設置された。
共産党は重要な政府部門に浸透し、国家安全保障関連の機密に接近し、重要な国家政策に影響力を及ぼす機会を得た。労組にも浸透し、労組紛争やストを煽った。大学にも浸透し、国家原則や国体への疑念を若者に植えつけた。世論を盛り上げるため密かに「戦線」を組織し、原子爆弾の機密も盗んだ。知識人を入党させることは特に重視された。資金がソ連から供給され、スパイもモスクワから送られてきた。駐米ソ連大使館はその本部となり、ソ連政府の通信社「タス通信」は大統領府の記者会見に出席した。ソ連が設立した企業・文化交流組織はプロパガンダとスパイの役割を果たした。
しかしルーズベルトは上記委員会の活動について否定的であり「その調査活動は重大な誤り」だと述べ、委員会の目的を「反ナチズム」に向けようとした。1941年、政府内にはすでに2000人の共産主義者が浸透し、すべての情報を閲覧し盗み取っている、と上記委員会のディース委員長は述べている。

第4章 連邦政府への共産党の浸透
共産党員スパイの浸透は、軍、殆どすべての民事部門、連邦議会の委員会、大統領府にまで及んでいた。かれらは公務で諸外国に派遣された。大戦時には連合軍の会議で重要な地位も占めた。
この浸透は、党員の「細胞」とそのシンパである「戦線」によって行われた。細胞にはトップレベルの政府官僚も含まれ、機密情報をクレムリンに送った。戦線はプロパガンダ、陰謀、資金集めを担当した。
大戦が終りに近づくにつれ、かれらは、諜報、調査、産業、原子力、軍など、すべての面で活動した。その後かれらは国連組織 (United Nations) に引き継がれている。
続いてこのようなスパイの長大なリストが掲載される。みな大学教授や博士である。注目されるのは軍の研究所、原爆研究所、通信技術研究所、農業・工業関係機関、労働関係機関が含まれていることである。

1949年の反米活動委員会の報告書は、政府職員に3000人の共産党員が含まれていると述べた。1953年には2000人以上が危険人物として解雇された。1955年には2万人以上が、また2万8千人、3600人以上、5900人以上がそれぞれの機会に解雇された。とりわけ原子力委員会ではまず約500人が、続いて4000人近くが解雇された。

第5章 共産党の戦線
共産党は国内の殆どの分野にいくつもの「戦線」要員を忍び込ませた。共産党員の周りにリベラル」なシンパや無害な人であると偽装した人間を集め、「理想主義」的な言葉を語らせた。それは「前衛から大衆に運動を伝える駆動力伝達装置」とされた。これら戦線は、人権を叫ぶ「権利の章典」・憲法修正5条を後ろ楯として自由に活動できた。1961年までに1000以上のこの種の団体が摘発された。
その一部を挙げれば、様々な名前の共産党、労働党、市民権を主張する団体、自由と民主主義を叫ぶ組織等々があり、多数の大学その他学校で、また書店や図書取次店、通信社、新聞社、雑誌、出版社で活動した。軍にさえ100以上の組織が見つかった。芸術、科学、文筆、宗教、女性、退役軍人、対外交流、外国語、外国民族、職業専門分野、平和推進団体、外国支援団体、青年団体、労働団体、農民・消費者団体、芸能、黒人解放運動、雇用問題研究などでも活動した。かれらは裁判にも関わり、デモも組織した。労働組織CIOは大統領選挙にも関わり対立する候補を落選させようとした。その中の一つPACのヒルマンは労働代表・顧問としてルーズベルト政権に加わった。ヒルマンはロシアから来た共産主義者であった。国内の多くの労働組合も共産党の手に落ちた。連邦の組織である国家労働関係委員会さえも共産主義者の支配下に落ちた。

--恐ろしい浸透、日本と同じ状況だ。この委員会に対して否定的であったルーズベルトの態度は驚くべきものだ。ルーズベルトの正体がここで示唆されている。日本もこれと似た状況と言わねばならない、残念ながら。スパイは国連に引き継がれたと書かれているが、国連でパージがあったと聞いたことがないので、現在も同様な或いはそれ以上の浸透状況と推測される。
日本の場合、共産党は「さまざまな左翼、シナ人、朝鮮人」の活動として現れている。上に「反米活動委員会」によってパージしたことが書かれているが、日本でもこれを恐れることなく早急に実施せねばならない。

第二次世界大戦当時のアメリカの政策に対する批判の声が、アメリカ側にも無いわけではありません。特に有名なのは、歴史家のチャールズ・ビヤードやハーバート・フーバー元大統領ら「Isolationist (一国平和主義)」などによる反ルーズベルト大統領を掲げる方々による政策批判です。アイソレーショニズムとは、「リベタリアン主義者」と同じく、アメリカの一国平和主義を指し、現在でも外国の戦争には関わりたくないというアメリカに根強い厭戦主義ですが、経済政策や政府の役割の観点から「保守派」の一翼と考えられています。フーバーは実際、ヒトラーと戦うためにヨーロッパの戦争に参入することにも反対をしていました。また同時に、イギリスがポーランドに確約した独立にも反対をしています。アメリカがヒトラーと戦うのではなく、ソヴィエトに戦わせ、独ソの戦力(国力)を破壊させるべきであったという主張もしています。

 

宮崎正弘の国際ニュース・早読み  <フーバー大統領回想録『裏切られた自由』、ついに邦訳が刊行

 

これは戦後出版界と歴史学界を画期する一大事件である
フーバー大統領回想録『裏切られた自由』、ついに邦訳が刊行
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 待望のフーバー大統領回想録『裏切られた自由』(草思社)の邦訳板刊行が始まった。
 同時にこの本を詳細に解説する渡邊惣樹『誰が第二次世界大戦を起こしたのか』(同)も出版され、戦後の歴史解釈が根底的にひっくりかえる。

ガリレオが、コペルニクスが、あるいはダーウィンがそうであったように、世の中の通説を転覆させ、真実をのべることは勇気を必要とする。
アメリカ人が単純に信じ込む「米国=正義」に対して、そのタブーに正面から挑戦したのが、フーバー大統領の回想録だからである。

真珠湾攻撃は事前に暗合が解読されていて、むしろ日本をけしかけていたルーズベルト大統領の陰謀だったことは、いまや周知の事実である。しかし、日本の攻撃で一気にアメリカの厭戦ムードは吹き飛んだ。ルーズベルトの狙いは当たった。

アメリカは孤立主義から大きく逸脱し、まずはヨーロッパ戦線に大軍をさしむけ、ナチス・ドイツ、ムッソリーニのイタリアと戦闘。西側を勝利に導いた。いや、勝った筈だった。

ところが敵であるはずのロシアを支援し、あろうことか、戦後秩序はソ連のスターリンが最大の裨益者となった。死力を尽くしたポーランドが共産化され、チェコ、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリアばかりか、バルカン半島に到るまでソ連が手に入れた。
極東では南樺太、全千島を手に入れても足りず、アジアは中国共産党の手に落ち、朝鮮半島は南北に分断され、とどのつまりルーズベルトはソ連の領土拡大に協力したことになる。

 結果論の皮肉は、近年でもたとえば米軍がイラクに介入した結果、ISというテロリストを産み、イラクはイランの影響下に入り、アフガニスタンはタリバニスタンに変貌しつつあり、朝鮮半島では南が自ら赤化を望み、いそいそと中国圏に戻ろうとしている。

フーバー大統領(任期1929−1933)はルーズベルト大統領に騙されていた。何かを仕掛けたなとは本能的に直感したが、当時、すべての密約は密封され、フーバーにさえ「ハルノート」という最後通牒を日本に突きつけていたことは知らされていなかった。
フーバーは書類、議会議事録、外交文書そのほかを緻密に検証し、20年の歳月をかけて本書を書き残していた。
フーバーの言い分とは簡単に言えば「ルーズベルト外交は自由への裏切りであった」ということである。

▲マルタで東西冷戦は終わった

東西冷戦は、ルーズベルトの失策がもたらした。そもそもルーズベルトの失敗は、ソ連を国家承認した(1933年11月)ときから始まった。大統領就任直後である。
それが世界に厄災を運び、ルーズベルト政権の周りはソ連のスパイと共産主義者に囲まれて国策を次々とあやまった。

大胆にソ連に挑戦したのは1981年のレーガンの登場だった。
スターウォーズ計画、ミサイル防衛網を前面に出して、ソ連と対峙姿勢をしめし、対抗策としてソ連は大軍拡にはしるのだが、経済力がついてこられず、あえなく頓挫。ペレストロイカ、グラスノスチを謳ったゴルバチョフが登場した。
1989年師走、ブッシュ大統領とゴルバショフはマルタの沖合のヨットで会談し、東西冷戦が終結した。

共産主義者は思想的敗北から逃れるために環境保護、人権運動、フェミニズム、少数性差別、反原発に流れ込み、日本でもその亜流がいまもメディアが牛耳っている。

さて、1938年3月8日に、フーバーはヒトラーと会見している。
「この会見でフーバーは、ヒトラーを狂信者であり、お飾りだけの愚か者だとする欧米の報道が間違っていることを確信した。ヒトラーは自身の言葉で国家社会主義思想に基づく経済再建を語った。情報の豊かさは彼の優れた記憶力を感じさせるものだった」(渡邊解説本、64p)。

その前年、1937年にルーズベルト政権はシカゴで演説した。有名な『隔離演説』である。しかも、この演説で、ルーズベルトは「国内の経済問題を話題にしなかった。具体的な名指しは避けたものの、日独伊三国によって世界の平和が乱されている、これを是正するためにはアメリカは積極的に国際政治に関与しなけれはならないと訴えた」(同72p)。

一九三九年月一五日、ナチスはチェコに侵入した。
「少なくとも軍事侵攻ではない。ハーハ(チェコ)大統領との合意によるものだった。さらに、フーバーが考える独ソ戦では、ドイツはソビエト侵攻のハイウエイとなるチェコスロバキアを通らざるを得ないことは自明である」(同88p)。

次はポーランドだった。
ここで英国のチャンバレンはポーランドの独立を保障する宣言を行った。英米は、ドイツはスターリンとの対決に向かうと考えていたから、ポーランド回廊を通過するのは自然であり、このポーランド独立を英国が保障するということは、フーバーからみれば愚かな選択であった。

▲ルーズベルトがスターリンに譲歩したのはアメリカを不幸にした

ヒトラーは独ソ不可侵条約を結び、しかもソ連もポーランド侵攻に踏み切る。
「犬猿の仲であった独ソ両国の唯一の共通点。それが第一次大戦期に失った領土回復を希求する強い思いであった」(同99p)

舞台裏では何回も複雑に執拗に交渉が続いたが、ポーランドの誤断も手伝って、ついにナチスはポーランドへ侵攻する。
「この戦いがなければ日米戦争がおこるはずもなかった」が、ポーランドの稚拙な対独外交が原因で、戦線が広がり、日米開戦への道が準備される。

その後の戦争の展開は周知の事実とはいえ、問題は「カイロ宣言」、「テヘラン会談」から「ヤルタ」会談の密約、そしてポツダムへと米英ソの『密約』が次々と進み、アメリカ国民は何も知らされないままルーズベルトとスターリンの謀議は進展し、途中からチャーチルはのけ者にされ、やがて病魔に冒されたルーズベルトは正常な判断も出来なくなった。

トルーマンはルーズベルトから殆ど何も聞かされていなかった。原爆を保有したことさえ、トルーマンは知らなかったのだ。
こうしてフーバー回想録は、アメリカの歴史学主流に投げつけられた爆弾である。
かれらが『歴史修正主義』とレッテルを貼り付け非難してきたが、どちらが正しいかは明らかであり、ルーズベルトの評価が地獄に堕ちているのだが、これを認めようとしない一群の学者とメディアが、真実をいまも覆い隠しているのである。

渡邊氏は、解説書の最後を次のように結んでいる。
「中国と韓国は、日本を『極悪国』として捉え、歴史認識では日本の主張を一切受け付けず、二十一世紀になっても非難を続けている。歴史の捏造が明らかな南京事件についても、いわゆる慰安婦問題についても、アメリカはプロパガンダであることを知っている。それにもかかわらず、アメリカが日本を擁護しようとしないのはなぜなのか。それは、ルーズベルトとチャーチルの戦争指導があまりに愚かであったからであり、その愚かさは、日本が(そしてナチス・ドイツが)問答無用に『悪の国』であったことにしないかぎり隠しようがないからである。
歴史修正主義は、戦後築きあげられた『偉大な政治家神話』に擁護されている二人の政治家(ルーズベルトとチャーチル)の外交に疑いの目を向ける。ナチス・ドイツや戦前の日本が、胸を張れるほど素晴らしい国であったと声高に主張しているのではない。極悪国とされている国を『歪んだプリズム』を通して見ることは止めるべきだと主張しているに過ぎない。それにもかかわらず、歴史修正主義は枢軸国を擁護する歴史観だとのレッテルが貼られている。それは、ルーズベルトとチャーチルが引き起こした戦後世界の混乱の真因から目を逸らさせたい歴史家や政治家がいるからである)(同220p)。

歴史の偽造やフェイクをまだ信じているガクシャは、本書を読むと顔が引きつるだろうし、日本の論壇にまだ跋扈している左翼は卒倒するかも知れない。

1946年(昭和21年)5月3日、東京。
元アメリカ大統領ハーバート・フーヴァーと連合国軍最高司令官マッカーサーは「太平洋戦争とはいったい何だったのか」を3日間にも渡って話し合った。
そのとき、日本人なら誰も思いもしないようなことをフーヴァーは口にした…

「太平洋戦争は、日本が始めた戦争じゃない。あのアメリカの『狂人・ルーズベルト』が、日米戦争を起こさせた。気が狂っていると言っても精神異常なんかじゃない、ほんとうに戦争をやりたくてしょうがなかった…その欲望の結果が日米戦争になったんだ」
その言葉を聞いて、マッカーサーははっきりと同意した…

日本が真珠湾を奇襲攻撃したあの日、アメリカ大統領とイギリス首相は驚きや怒りなどではなく、電話で歓喜に狂ったのは何故か?
「絶対に戦争はしない」と誓って大統領に当選したルーズベルト…それなのに、なぜ戦争は始まったのか?国民を騙して戦争に引きずり込んだ、彼の裏の顔とは?
ルーズベルト大統領と中国の、ただならぬ深すぎる関係。その蜜月はいつから始まったのか?
(わたしたち日本人が見過ごしてはいけない事実とは?)
日本は終戦まで、アメリカに何度も何度も和平提案を送っていた。それを完全に無視し続けた上での原爆投下…瀕死の日本に、どうしてそこまでする必要があったのか?「原爆が正義だ」という狂気のデタラメを生み出した世界の力関係とは?
野球、ジャズ、震災義援金…太平洋戦争よりもずっと昔の明治時代から仲の良かった日本とアメリカが、なぜ戦わなければならなかったのか?
キリスト教、利権、プロパガンダ、共産主義…日本の知らないところで世界はつながっていた? 日米だけを見ていては理解できるはずのない、70年以上前から存在する寒気のするようなネットワークとは? これを知れば、日本人の常識では気付けない世界の現実が見えはじめます…
日本人が戦争に踏み切るきっかけとなった「ハル・ノート」。なぜ、そんな重要な内容を私たち日本人は教えられないのか?アメリカ大物議員すらも「国民への裏切り」だと絶句した、その内容とは?
アメリカの侵略に怯えるハワイ王国が、なぜ、明治日本に助けを求め、皇室に縁談を持ちかけたのか? そこから浮かび上がる戦前の日米関係と世界の裏事情
まだ日米関係が友好的だった戦前のアメリカ。日本人も中国人もアメリカに移民していたのに、「排日移民法」が成立して日本人だけが排除されたのは何故だったのか? この差別の裏にあった「妬み」とは?

その内容から注目を集める「フーバー大統領回顧録」

勝兵塾の講師である外交評論家の加瀬英明氏が代表をされている「史実を世界に発信する会」事務局長の茂木弘道氏から、新刊書「日米戦争を起こしたのは誰か ルーズベルトの罪状・フーバー大統領回顧録を論ず」(勉誠出版)を送っていただいた。
加瀬英明氏は序文でこう明言する。「第二次大戦は悲劇だったというよりは、人類史における未曽有の惨劇だった。日米戦争については、アメリカが仕掛けたものであって、アメリカに一方的な責任があった」。その根拠は「フーバーによれば、三年八ヶ月にわたった不毛な日米戦争は、『ルーズベルト(大統領)という、たった一人の狂人が引き起こした』と、糾弾している」からだと言う。また「フーバーは、ルーズベルト大統領が容共主義者であり、ルーズベルト政権の中枢が共産主義者によって、浸透されていることを承知していた」「フーバーは一九四一年六月、アメリカが第二次大戦に参戦した半年前に、ルーズベルト政権が第二次大戦に参戦しようと企てていることに強く反対して、ラジオ放送を通じてつぎのように訴えた。『もしわれわれが参戦することがあったら、スターリンが勝利を収めることに手を貸して、われわれの犠牲において、スターリンがヨーロッパの大きな部分を呑み込んで、支配下に収めることとなろう。そうなれば、大きな悲劇がもたらされることとなる』アメリカは、日本に理不尽な経済制裁を加えて、追い詰めることによって、この年の一二月に日本に第一発目を撃たせて、第二次大戦に参戦した」「フーバーは『日本はアメリカと同じ価値観を共有する国である』といって、『日本が戦後、朝鮮半島と台湾を領有し続けることを、認めるべきだ』とすすめ、また、『中国大陸からの日本軍の撤退は、できるだけ時間をかけて、ゆっくり行うべきである』と、提言した。しかしルーズベルトは暗号解読でわかっていた真珠湾攻撃を騙し討ちだとリメンバー・パールハーバー(真珠湾を忘れるな)だと煽ったことで、アメリカの世論が日本に対する憎悪に湧き立っていたことと、軍部が強く反対したために、フーバーの提言は受け入れられなかった」という。序文の結びはこうだ。「『フーバー回顧録』は、読む者に近代史を見直すことを促している。二一世紀におけるきわめて貴重な文献であり、近代史に関心を持つ者にとって、必読の書となっている。」

歴史修正主義批判は誤り歴史には常に見直しが必要

次に来るのが、茂木弘道氏、稲村公望氏、藤井厳喜氏の三名による鼎談だ。第一章「誰が戦争を仕掛けたのか」から、印象深かった部分をいくつか取り上げてみる。
茂木◎フーバーは原爆投下についても、アメリカの犯した過ちとして反省し、投下したトルーマンを批判している。
藤井◎アメリカが永遠に担う十字架になったとはっきり書いていますね。
稲村◎未だにアメリカ人は、「原爆を落とさなければアメリカの兵隊が多数死んだだろう」と言っていますけど、フーバーの記述では、マッカーサー将軍は「そんなことはあり得ない」と言っている。
茂木◎ウェッブ裁判長が、東京裁判は間違いであったというようなことをだいぶ書いているんですね。
藤井◎アメリカでレビジョニスト(歴史修正主義者)は批判の言葉です。レビジョニストというのは元々マルクス主義用語なんです。マルクス主義には絶対の真理がある、とマルクス主義者は信じている。だからレビジョニストというのは最悪の犯罪なんです。絶対真理を修正する事は許されないからです。でもわれわれは常に歴史を実証的に見直さないといけない。西洋のキリスト教社会には宗教裁判や異端審問という恐ろしい伝統があります。レビジョニストという言葉をさか上ると、こういう「正統と異端」の確執という、おどろおどろしい一神教の伝統にまで行き着きます。
藤井◎ソ連とナチスドイツを戦わせたらいいじゃないかというのは少数意見じゃない。ウェデマイヤー米陸軍大将も同じ考え方でした。彼は、イギリスについても、イギリスの伝統的な外交政策をチャーチルは否定したから駄目なんだ、と指摘している。ヨーロッパ大陸を単一の勢力が制圧しないように大陸の中を戦わせる、バランスを保たせるというのがイギリスの伝統的な外交政策なんです。
藤井◎ソ連にエサをやって、大きな怪物にしたのはアメリカだと言っても過言ではない。フーバーには、それに対するアメリカの反省と、自己批判があると思うんです。例えば、ウェデマイヤーの回想録にも全く同じ指摘があります。ウェデマイヤーで面白いのは、彼は、チャーチルがいかに戦争が下手だったかということを書いている。第二次大戦は、少なくともヨーロッパ戦線は、本来なら終戦の一年前の一九四四年に終わっていたはずだ、と。イタリアの戦争は一切いらなかった。ノルマンディー上陸作戦は一年前にできた。一直線にベルリンまで行けば全部終わりだった。
藤井◎ウェデマイヤー回顧録で書かれていることですが、ウェデマイヤーは軍の中枢にいて総動員計画を作らされるんです。アメリカの産業力を全部投入して総力戦をやる。命令が来たのは一九四〇年の一二月。ちょうどパールハーバーの一年ぐらい前です。もう一つ強烈な証拠があります。これは一般には知られてないんですが、JB‐三五五計画。アメリカの爆撃機が支那大陸から飛んで日本を爆撃するという計画が一九四一年七月一八日、陸海軍長官の連名で大統領に提出され、七月二三日に大統領がOKサインをした。これはアメリカの公的資料ですね。
茂木◎この件に関しては、アメリカの真珠湾攻撃五〇周年のときに、テレビのABC放送で放送されています。ロークリン・カーリーという大統領特別補佐官・中国担当が、この計画を進めていた中心人物です。要するにカーリーがコーディネーターとして、陸海軍の参謀に指示し案を作らせた。中国のどの基地から日本のどの都市を爆撃するか、詳細計画です。これはもはやオレンジプランとは違う。実行プランなんです。しかもそれを中国にやらせる。B−一七、一五〇機。なんとカーリーはやがてコミンテルンのスパイであったことが判明し、南米に逃亡しているんです。

このような宣戦布告なき戦争を始める一方で、ルーズベルトは日本を暴発させるために準宣戦布告書であるハルノートを、アメリカの国民にも議会にも秘密のまま日本に突き付けた。日本はアメリカ国民の戦意を煽る真珠湾攻撃など行うべきではなかった。しかもルーズベルトは暗号解読によりこの攻撃を察知していたが、太平洋艦隊司令長官であるキンメル大将には伝えず、新鋭艦と空母を湾外に離脱させる一方、戦艦アリゾナをスケープゴートにするべく、ここに定員以上の兵員を集め、戦艦メイン号のように自爆の疑いのある謎の弾薬庫誘爆でアリゾナは沈没、真珠湾攻撃の戦死者約二千四百人のうちの半数はアリゾナ一艦で亡くなった。

 

ポーランドの独立保証が英仏を戦争に巻き込んだ

この本の第二章は「過ったアメリカの政策」というタイトルで、『フーバー回顧録』で指摘されているアメリカが政治の大道から逸脱したという十九のポイントを取り上げている。
第一の過ちは「一九三三年の国際経済会議の失敗」だ。一九二九年の大恐慌後の国際経済安定化のためにフーバー大統領が音頭をとって導入しようとした国際決済の金本位制を、後任のルーズベルト大統領がアメリカ一国の繁栄を目論んで潰したという。
私が最も大きいと思う過ちは、第二の過ちとして挙げられている一九三三年のルーズベルトによる「ソ連承認」だ。それまで四人の大統領と五人の国務長官によって拒否し続けていた承認を行ってしまったことで、共産主義のばい菌がアメリカ中に広がったのだ。
第三の過ちは「ミュンヘン融和の成功と失敗」だ。一九三八年、ナチスドイツのチェコのズデーデン地方の割譲要求をイギリス、フランス、イタリアがミュンヘンの会談で受け入れたものだ。このイギリス首相チェンバレンによる宥和政策は、チャーチルやその後の歴史家によって批判されているが、フーバーの評価は違う。藤井氏によると「ヒトラーはイギリスともあまり戦いたくない。ナチスドイツからすると、ソ連とやるのが思想的にも地政学的にも本来です。チェンバレン・大英帝国からすると、植民地は世界中にあるわけでしょう。ヨーロッパ大陸には英国の植民地はない。ドイツにソ連のほうを攻めてもらえば一番いいのであって、自分の植民地は温存できる。大変に合理的な選択だと思う。
第四の過ちは、「英仏の『ポーランドとルーマニア』への独立保証」だ。一九三九年にイギリスとフランスは、ポーランドとルーマニアの独立を保証する。ドイツの侵略を防ぐ力がないのに保証したことで、両国は関係のないはずのドイツの戦争に巻き込まれてしまった。この保証がなければ、ソ連とドイツの戦いになっていたとフーバーは言うのだ。藤井氏は「フーバーは『英仏のボーランドへの独立の保証にフランクリン・ルーズベルトが関わったことは確かだが、十分な証拠がない』と嘆いていました。しかし確かな証拠が出てきました。イエジ・ユゼフ・ポトツキ駐米ポーランド大使が、『ルーズベルト大統領は、ポーランドの独立維持の為に、英仏側に立って参戦することを約束していた』と証言しています」と語っている。
第五の過ちは「アメリカの宣戦布告なき戦争」だ。一九三九年七月二十六日のアメリカからの破棄の通知によって、一九四〇年一月二十六日に日米通商航海条約は失効した。これは「準宣戦布告」だという指摘だ。
第六の過ちは「警戒心を持った忍耐政策を取らなかった事」だ。一九四一年のレンドリース法(武器貸与法)に基づき、アメリカはイギリス、ソ連、中国などに一九四五年までに総額五百一億ドルもの武器や物資を供給した。しかもこの法律では大統領の判断でアメリカの軍艦をイギリスが使用することもできた。フーバーは、イギリスに対しては経済援助に留めるのが、国際法の許容内だったと言う。また茂木氏は「本来、アメリカでは宣戦布告の権限は、大統領じゃなくて議会にあるんですね。議会が決定しないと、宣戦布告できない。それなのにこの法律だと、議会の承認なしで、戦争に関わる権限を大統領に与えていることになる」と指摘している。

フーバーも認める「日本の戦争は自衛戦争」

第七の過ちは「ソ連共産主義を助けた事」。「アメリカの歴史の全史を通じてもっとも政治の大道が失われたのが、ヒトラーがロシアを一九四一年に攻撃したときに、共産ロシアを支援して、アメリカとロシアが非公然の同盟関係になったことである」と言う。結果「第二次大戦唯一の勝者がソ連とスターリン」(藤井氏)になってしまった。第八の誤りは「一九四一年七月の日本への経済制裁」だ。「一九四一年七月の日本に対する経済制裁。ルーズベルトの巨大な失敗ですね。失敗というより、意図的な戦争挑発です」(藤井氏)。「戦争開始する直前、世論調査をしたらアメリカ人の八五%が戦争に反対だったんですよ。だから、ルーズベルトは一貫して平和主義者として振る舞っている。チャールズ・ビーアドはそれをアピアランス(見せかけ)と表現しています。しかも選挙で公約までしてね。そうしたら自分からやるんじゃなくて、やらせる以外に方法はない」(茂木氏)。また「原文ではわずか五行だけど、日本の戦争は自衛戦争だった、と評価している」「アメリカに早く参戦してほしい三つの勢力があった。一人はソ連のスターリンですよ。もう一人はイギリスのチャーチル、最後に中華民国の蒋介石。三人がそれぞれ強烈にルーズベルト政権をつかんで、早く日本を追い込んで、日本に撃たせろと働きかけた」(藤井氏)のである。
第九の過ちは「近衛が提案した条件を受け入れなかったこと」である。近衛の提案は、満州の返還を除く全てのアメリカの目的を達成するものであった。しかし、ルーズベルトは、この重要ではない問題をきっかけにして自分の側でもっと大きな戦争を引き起こしたいと思い、拒絶した。
第十の過ちは「日本との三ヶ月の冷却期間を拒絶した事」と続く。一九四一年十一月に日本から提案した冷却期間をルーズベルトは拒否し、その直後にフーバーも最後通牒だと認めるハルノートを日本側に手交している。ルーズベルトは三カ月経てば、日本は開戦に乗ってこないと考えたのだという。また三氏は通商破壊に触れ、本来海軍の目的は通商破壊とシーレーンの確保なのに、日本海軍の感覚は、商船破壊を程度の低いものと見て重視しないという非常識なものだったとしている。
第十一の過ちは一九四三年一月の枢軸国に対する「無条件降伏の要求」だ。これにより結果的には戦争が長引いたとフーバーは指摘している。この後鼎談は八つの過ちと、第三章「戦争を引き起こした狂気」と続き、その後に三氏の小文が掲載されている。

 

ルーズベルトに戦争を求めた軍産複合体

先の大戦後のルーズベルトやチャーチルへの高い評価を改めて見直す視点を、この本は与えてくれる。しかしこの本に書かれていないが最も重要な事がある。何故彼らは共謀して戦争を拡大させていったか。それはアメリカの軍産複合体が戦争特需を求めていたからだ。ヨーロッパの戦争をスターリンとヒトラーの戦いに留めておけば、悲惨な第二次世界大戦も戦後の冷戦も起きなかった。しかし一九三九年イギリス・フランスはポーランドとルーマニアへの独立を保障し、戦争となればルーズベルトはポーランドの独立維持の為に、英仏側に立って参戦することを約束していた。実際に、一九三九年九月一日にドイツがポーランドへ侵入し、戦争となったことで望んでもいない英・仏がドイツに宣戦布告することとなった、しかし、一九四〇年四月にドイツがオランダ・ベルギーに侵攻するまで、西部方面での戦争は無かった。
アメリカは着々と戦争の準備を始め、一九四〇年九月二十六日に屑鉄の全面禁輸を発表し、十月には、歴史上初めて徴兵制を制定し、十一月にルーズベルトは三選を果たし、一九四一年三月には、武器貸与法(レンドリース法)を制定させ、八月一日に対日経済制裁として原油の全面禁輸を実施、これは実質上の宣戦布告と言える。イギリスやソ連に大量の軍需物資を提供し、ソ連を軍事モンスターにしてしまった。大いに潤ったのは、軍産複合体だ。これは大恐慌後の経済立て直しのためにルーズベルトが行ったニューディール政策の失敗の穴を埋めるために彼は戦争特需が必要だった。先の大戦以降もアメリカは軍需産業が求めるままに、ベトナム戦争、湾岸戦争、アフガニスタン戦争、イラク戦争を戦っていくこととなった。先の大戦での実質の敗北者は、ほとんど全ての植民地を失ったイギリスとアメリカの国民(兵士)だ。かつての大国が現在見る影もないのは、日本を戦争に巻き込んだチャーチルの判断の誤りの結果だ。ノルマンディー上陸作戦を一年間遅らせて、東ヨーロッパをソ連の支配下に置いてしまった罪も重い。独裁国家は国民が酷い目に合うことをいとわず、政権崩壊だけはなんとしても防ごうとする。ソ連はこの大戦で二千万人以上という膨大な人的被害を出しながら、莫大なアメリカからの軍事支援でドイツに勝利し、大国としての地位を確保したのだ。
フーバーが「アメリカが永遠に担う十字架」と呼んだ原爆投下は、アメリカが自らモンスターにしたソ連の世界赤化を牽制し戦後の世界覇権を握る為に、何としても大東亜戦争中に完成させ実戦で使用しようとしたものだ。だから終戦を望む日本の唯一の条件だった天皇制の維持を曖昧にし、終戦を引き延ばすために、ポツダム宣言に一旦は入れた天皇制維持の項目を削除して戦争を長引かせ、その間に完成した二種類の原爆を広島、長崎に投下した。しかしその物凄い破壊力と悲惨さを現実に目にしてその投下の呪縛に囚われたアメリカは、日本が悪い国だったから正義の国・アメリカが原爆を投下して良い民主主義の国にしたというストーリーを維持するために、中韓が主張する南京での三十万人の虐殺や、二十万人を強制連行して性奴隷にしたという作り話をアメリカは否定しないどころか一緒になって合作した。戦後七十年経過した今、日本だけではなくルーズベルト、チャーチル、スターリン、蒋介石が何を考えて行動したのかを読み解くためには、この『フーバー回顧録』は非常に貴重な史料だ。
戦争は非道なものであり、これを引き起こすのは、人の命の価値を重視しない軍需産業とその支援を受けた権力者だ。今の日本でもテレビや新聞の報道に頼らず、国民一人ひとりが自分の頭で考えて、日本が再び戦争に巻き込まれないようにしなければならない。そのために必要なのは力の均衡の維持なのだが、現行憲法下の日本は「いつでも襲ってください」と言っているようなものだ。核の傘を含む日米安保条約による日本の安全保障は、共和党の大統領候補であるトランプ氏が言っているように片務的であり、アメリカからもその在り方に疑問の声が出ている。撤退するアメリカと膨張する中国という情勢は、第三次世界大戦という冷戦に次ぐ第四次世界大戦は、米中の戦争であることを示唆している。これを防ぐためにもニュークリア・シェアリング協定を結び核バランスを取るか、レールガンやレーザー砲など先端科学技術を用いた兵器の導入を日本は急ぐべきだ。防衛力だけでは攻撃力の二十倍もの軍事力が必要となる。本来攻撃こそが最大の防御なのだ。攻撃的な兵器も保有できるように憲法改正を行うことは必須だろう。この議論を進め、アメリカとの新しい関係を築くためにも、先の大戦の真実を一人でも多くの人が理解する必要がある。まずこの『日米戦争を起こしたのは誰か ルーズベルトの罪状・フーバー大統領回顧録を論ず』を一人でも多くの日本国民が読むことが重要だろう。また原本である『フーバー回顧録』の全訳が一日も早く日本で出版されることを望んでいる。

藤 誠志

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