反日の起源エドガートン・ハーバート・ノーマンの

反日の起源エドガートン・ハーバート・ノーマンの

E・ハーバート・ノーマン略歴

歴史家・外交官、E・ハーバート・ノーマンは、1909年9月1日、カナダ人宣教師の第3子として長野県の軽井沢で誕生。トロント大学、ケンブリッジ大学、コロンビア大学、ハーバード大学で学び、1939年カナダ外務省に入省。

第二次大戦後、米国の要請によりカナダ外務省からGHQ (連合国軍総司令部) に出向し、占領下の日本の民主化・改革に携わった。1946年8月、駐日カナダ代表部首席に就任。1951年9月、サンフランシスコ対日講和会議のカナダ代表首席随員。1953年、駐ニュージーランド高等弁務官に就任。1956年、駐エジプト大使兼レバノン公使に就任。

1956年、スエズ動乱勃発に際し、平和維持と監視のための国連緊急軍導入に功績を残した。しかし、冷戦下の狂信的なマッカーシズムの嵐に巻き込まれ、1957年4月4日、任地カイロで自死を遂げる。

 

評論家の江崎道朗氏は、ノーマン復権を唱えたダワー教授の理論の下敷きになったのがベトナム反戦運動を展開したニュー・レフト(新左翼)だった。彼らは、ソ連の支援を受けた北ベトナムが勝利し、共産政権ができれば、東南アジアにも共産主義政権が誕生し、世界共産化が進むと考えた。ところが1965年のインドネシア共産クーデターが阻止され、反共を掲げる東南アジア諸国連合(ASEAN)が創設された。そこでニュー・レフトの理論的指導者、カリフォルニア大学のヘルベルト・マルクーゼ教授が1969年、『解放論の試み』を出版し、アジア・アフリカの解放には、共産勢力の強化より、資本主義国の弱体化が必要と訴えた。

 

このマルクーゼ理論を基にダワー教授は、ベトナム、ひいてはアジアの民主化を阻害する米国の帝国主義者たちがアジアで影響力を保持するのは、日米同盟と日本の経済力があるからだとして、日米同盟を解体し日本を弱体化することが、アジアの民主化につながると考えた。そしてダワー教授らは次のように訴えた。

 

「占領政策で日本の民主化は進んだものの、日本の官僚制を活用する間接統治と『逆コース』で占領政策が骨抜きとなり、『天皇制』など戦前の専制体制が温存された。さらに昭和天皇の戦争責任を不問にするなど東京裁判が不徹底に終わったため、日本は『過去の侵略を反省できない、アジアから信頼されない国家』になった。そこでもう一度、徹底した民主化(憲法の国民主権に基づく皇室解体)と東京裁判のやり直し、アジア諸国への加害責任の追及を行うべきだ。そのため民主化と加害責任の追及を行う日本の民主勢力(例えば、家永三郎氏のような『勇気』ある歴史家たち)を支援するべきだ(ダワー教授は1999年、後述する『抗日連合会』や土井たか子元社民党党首らと連携して、家永三郎氏にノーベル平和賞を受賞させる運動を展開していた。

「暗黒史観であるノーマン理論を引き継いで「未完の占領改革」を徹底せよというのである。こうして日本の加害責任を改めて追及して日本を弱体化させ、アジアの民主化を促すという世界戦略が米国のニュー・レフトの間で確立されたのである。

ノーマン理論復権

米国でのダワー教授のノーマン再評価を受けて日本でもノーマン理論が復権する。没後20年を期して77年に全集が刊行され、87年には全集の増補が刊行される。さらに左派リベラル勢力が「一般国民もアジア侵略の加害者である」と戦争責任を問い始めた。

その理論を支えた一人となった一橋大学の油井大三郎名誉教授は1989年にノーマンを再評価する『未完の占領革命ー米国知識人と捨てられた日本民主化構想』を上梓し、「武装解除されても、天皇制が残るならば、日本は他の世界にとって未解決な危険な問題であり続ける」とのノーマンの発言を引用して、アジアから信頼を得るには、日本人自身が天皇制解体や加害責任追及を完遂するべきだと唱えた。言い換えれば東京裁判をやり直し、日本の加害責任を徹底追及しなければ、「占領革命」が完了しない、と訴えかけた。

こうしてノーマンが説いた「アジアへの加害者責任」の自虐史観は日本に浸透し、日本で謝罪外交の必要性が理論化された。日本国内で運動の中心的役割を果たすのが家永教科書検定訴訟支援運動だった。この結果、1980年代後半ごろから日本を始め世界各地に日本に謝罪と補償をさせる「反日」組織が誕生する。

東南アジアなどの戦争の被害地を訪問して加害者としての日本の歴史を確認する「ピース・ボート」運動が83年に辻元清美衆院議員が発起人となって始まる。84年には家永教科書訴訟を支援する形で「南京事件調査研究会」が発足され、84、87年に中国を訪問し、中国側の主張に沿って『侵華日軍南京大屠殺資料専輯』を翻訳して出版するなど「南京大虐殺」キャンペーンを始めている。また86年には、中国、韓国などの反日活動家を訪日させ、日本の加害責任を追及する国際ネットワーク構築が始まった。

韓国で親北系のハンギョレ新聞で「『挺身隊』怨念の足跡取材記」の慰安婦キャンペーンが始まるのは90年1月だった。翌2月17日、戸塚悦朗弁護士が国連人権委員会で「従軍慰安婦・強制連行」を取り上げている。

在米中国人が日本の戦争責任を蒸し返して米国や国連を舞台に日本に謝罪と補償を求めて反日宣伝を行う「対日索賠中華同胞会」が出来るのは87年だ。狙いを「南京大虐殺」に絞った「紀念南京大虐殺受難同胞連合会」を結成、翌92年にはカリフォルニアで「抗日戦争史実維護会」が組織される。

米国での中国系反日活動に連動して88年に香港で「香港紀念抗日受難同胞聯會」が結成されたのを皮切りにカナダなど世界各地で同趣旨の組織が結成され、94年12月、30を超える中国系反日組織を結集させる連合体として「世界抗日戦争史実維護聯合会」(抗日連合会)が結成される。中国政府と連携した中国系米人たちが「日本に戦争での残虐行為を謝罪させ、賠償させる」 ことを主目的に設立した「抗日連合会」が、「歴史戦」の主役として北米で日本の戦争責任を追及する苛烈な反日プロパガンダを20年にわたって繰り返している。南京事件のほかに捕虜虐待、731部隊、慰安婦を挙げてきた。戦犯裁判や対日講和条約での日本の責任受け入れを一切、認めない点で明白な反日組織だ。昨年、カリフォルニア州グレンデール市やニュージャージー州で慰安婦像を設置したのは記憶に新しい。「南京大虐殺」を目撃したとするドイツ人のジョン・ラーベの日記を発掘し、ドイツを「南京大虐殺」キャンペーンに捲き込んだり、反日集会に参加したアイリス・チャンに『ザ・レイプ・オブ・南京』を執筆させたりしたのも「抗日連合会」だった。

21世紀になると、ノーマンの再評価が広がる。ライシャワーの駐日大使時代の特別補佐官で、ジョンズ・ホプキンス大学高等国際問題研究大学院の学院長を務めたジョージ・パッカード氏も2001年に東京・六本木の国際文化会館で、「ライシャワーの日本近代史観は楽観主義が強すぎて軽視される一方、ダワーの『敗北を抱きしめて』やハーバート・ビックスの『昭和天皇』などの著作にみられるように、ライシャワーと対照的なノーマンの史観に評価が高まっている」とライシャワーを批判し、ノーマンを持ち上げた。

こうしたノーマン再評価を背景に中国、韓国はじめ、米国やカナダ、香港でも「日本の加害者責任」と人権を結びつけ、日本を弱体化させる反日国際ネットワークが次々と構築され、反日プロパガンダは現在も世界で広がっている。中国が仕掛ける「歴史戦」の活断層はこのあたりにあるともいえる。

 

人民統一戦線を理論的に支えたのが、当時アメリカ最大のアジア問題のシンクタンク「太平洋問題調査会(IPR)」だ。

IPRは、アジア太平洋沿岸国のYMCA(キリスト教青年会)の主事(教会の牧師にあたる)たちが国際理解を推進すると共にキリスト教布教を強化する目的で1925年、ハワイのホノルルで汎太平洋YMCA会議を開催した際に創設される。

ロックフェラー財団の資金援助を受けたIPRはアメリカ、日本、中国、カナダ、オーストラリアなどに支部を持ち、二年に一度の割合で国際会議を開催、1930年代には世界を代表するアジア問題についてのシンクタンクへと成長することになる。
このIPRを、アメリカ共産党は乗っ取ったのだ。

 

月刊「正論」2005年7月号を手に入れて読んでみた
『知られざる反日国際ネットワークの脅威と実態を暴く』

日本の戦争責任を蒸し返し、改めて日本に謝罪と保証を求める中国系組織がアメリカで初めて結成されたのは1987年のことで、その名は「対日索賠中華同胞会」という。

次いで91年、ニューヨークで「南京大虐殺の非人間性を広く世界に訴え、終局的に日本政府から正式な謝罪と賠償を引き出すこと」と目的に「紀念南京大虐殺受難同胞連合会」が結成される。翌92年にはカリフォルニアで、「日本画再び不当な侵略行動を開始することを阻止するために、アメリカ、中国、日本及び他の諸国で、過去の日本の侵略に対する批判が高まるよう国際世論を喚起すること」を目的にした「抗日戦争史実維護会」が結成された。

その後も次々と同主旨の組織が各地で結成され、94年12月、これら訳30もの中国系組織の連合体として「アジアにおける第二次大戦の歴史を保存する世界連盟」(以下「世界連盟」)が結成された。これ以後、アメリカにおける「日本の戦争責任追及の動き」のほとんどに「世界連盟」が係わっていると言っても過言ではない。
在米の反日組織「世界連盟」と表立って接触することを避けて来た中国政府だが、2002年2月、「世界連盟」の幹部を上海に招き、「第二次世界大戦保証問題に関する国際法律会議」を開催したのである。(略)

その二ヶ月後の三月下旬、今度は南京において、日本の戦争責任を追及する中国、韓国、日本の関係者が一堂に集い、第一回「歴史認識と東アジアの平和フォーラム」を開催した。主催は、中国の「南京大虐殺記念館」「中国社会科学学院駐日歴史研究センター」、韓国の「韓国学術団体教会」「日本の教科書を正す運動本部」(別名「アジアの平和と歴史教育連帯」)、日本の「日本の歴史責任資料センター」「子どもと教科書全国ネット21」の6つの団体で、日本からはほかにも日教組やピースボートの代表も参加している

ノーマンの『日本における近代国家の成立』は、戦後は教典のごとく尊重された。
「維新の政治革命は、フランス革命に見るような都市過激派や土地に飢えた農民の社会的反抗が勝利を収めた結果ではなくて、武士と都市商人と結んだ大外様藩、すなわち封建支配階級の一翼によって達成された変革だった。

 

 

 

即日振込ネットキャッシング

反日の実態カテゴリの最新記事