北条義時

歴代天皇 82 後鳥羽天皇

高倉天皇第4皇子。母は准后七条院藤原殖子 (やすこ。坊門信隆の娘) 。寿永2 (83) 年安徳天皇が平氏に擁されて都落ちしたのち,祖父後白河法皇の意向で皇嗣に選ばれ践祚。建久3 (92) 年法皇の崩御後は天皇親政とし,同9年為仁 (土御門天皇) に譲位し,上皇として院政を行なった。 寿永2年(1183年)7月25日、木曾義仲の軍が京都に迫ると、平家は安徳天皇と神鏡剣璽を奉じて西国に逃れた。これに従わなかった後白河法皇と公卿の間では平家追討を行うべきか、それとも平和的な交渉によって天皇と神鏡剣璽を帰還させるかで意見が分かれた。 この過程で義仲や源頼朝への恩賞問題や政務の停滞を解消するために安徳天皇に代わる「新主践祚」問題が浮上していた。8月に入ると、後白河法皇は神器無き新帝践祚と安徳天皇に期待を賭けるかを卜占に託した。結果は後者であったが、既に平氏討伐のために新主践祚の意思を固めていた法皇は再度占わせて「吉凶半分」の結果をようやく得たという。 法皇は九条兼実にこの答えをもって勅問した。兼実はこうした決断の下せない法皇の姿勢に不満を示したが、天子の位は一日たりとも欠くことができないとする立 […]